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2017年4月

2017/04/30

■節子への挽歌3526:賢治の愛のうた

節子
ずっと気になっていたことが今朝、氷解しました。
節子はよく知っていますが、私の好きな詩のひとつが、宮沢賢治の「永訣の朝」です。
この挽歌でも取り上げたことがありますが、妹トシがなくなった時に、賢治が詠んだ詩です。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2008/11/post-aaab.html
しかし、妹のための詩としては、どうもなじめなかったのです。
でもその違和感を確かめることはしませんでした。
そこに出てくる、「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」という言葉は、たしかに妹の言葉だったからです。
「雨雪をとってきてよ、賢治おにいちゃん」。
よほど妹思いだったのだなということでむりやり納得していました。

しかし今朝の「こころの時代 宮沢賢治 はるかな愛」で、賢治には思いを寄せた女性がいたことを知りました。
詩人の吉増剛造さんが、絵本作家の澤口たまみさんの書いた「宮澤賢治 愛のうた」を入り口にして、賢治の「春と修羅」を読み解いていくのです。
そして最後に、病床のトシが賢治に雪をせびった部屋で、吉増さんは賢治の「わたくしどもは」を読み上げます。
その部屋は、実は恋人の女性も訪ねてきた部屋だったようです。
「わたくしどもは」の詩は、はじめて知りましたが、私が書いたような気にさえなるような私好みの詩でした。

その詩は、この記事の最後に書いておきますので、よかったら読んでください。
この詩を読んでから、「永訣の朝」を読み直すと、これまでとは全く違う賢治が見えてきます。
そして私の長年の違和感は氷解したのです。

賢治の恋人は結果的には賢治ではなく別人と結婚し、アメリカにわたります。
そして27歳の若さで、アメリカで亡くなるのですが、それはともかく、賢治の「春と修羅」が完成したのは、彼女がアメリカに立つ1か月前だったのだそうです。
彼女にはわたっていたでしょう。
それは2人の秘められた記録だったのかもしれません。
そして彼女が渡米した直後に、賢治は「わたくしどもは」を詠むのです。

実に思いのこもった作品です。
長いですが、書いておきます。
しつこいですが、私が書いた詩のような気が、なぜかしてなりません。
もちろんそんなはずはないのですが、そう思う理由もまた、いつか書いてみたくなるかもしれません。

〔わたくしどもは〕

わたくしどもは
ちゃうど一年いっしょに暮しました
その女はやさしく蒼白く
その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした
いっしょになったその夏のある朝
わたくしは町はづれの橋で
村の娘が持って来た花があまり美しかったので
二十銭だけ買ってうちに帰りましたら
妻は空いてゐた金魚の壺にさして
店へ並べて居りました
夕方帰って来ましたら
妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑ひやうをしました
見ると食卓にはいろいろの菓物や
白い洋皿などまで並べてありますので
どうしたのかとたづねましたら
あの花が今日ひるの間にちゃうど二円に売れたといふのです
……その青い夜の風や星、
  すだれや魂を送る火や……
そしてその冬
妻は何の苦しみといふのでもなく
萎れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました


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2017/04/29

■コムケアサロン「生活の中での看取り」の報告

「看取りシリーズ」サロン3回目は、「生活の視点からの看取りを考える」をテーマにしました。
大型連休初日にも関わらず14人が参加しました。
話題提供者の小畑万里さんは、ていねいなレジメをつくってきてくださいましたが、それと併せて、実際にご自身が看取られたご両親の「老化のプロセス」を表にして、お話ししてくださいました。
ですから、とても具体的に「生活の中の看取り」を考えることができました。
そして、改めて、人によって異なる表情を持っている「看取り」を、一般論で語ることができないことを痛感すると同時に、そうした個々の看取りの中から学ぶことの多さも感じました。

小畑さんは、まず、「看取り」を、医療で想定されている看取り(狭義の看取り)と生活の中での看取り(広義の看取り)に整理し、前者は死が差し迫った時の比較的短期間の看取りであり、病気の治療が中心になるが、後者は不可逆的に死に向かう生活のプロセス全体に寄り添うことであり、老いへの対処とケアが中心になると説明してくれました。
併せて、「見守り」ということの大切さも、看取りとのつながりで話してくれました。

今回は病院や施設で「看取り活動」をしている人、看取り経験がある人、さらには豊かな人生の最期に向けて役立てるようなことをしたいと思っている人、あるいは自らの身近に看取りを意識しだしている人が多かったですが、なかには「看取り」など考えたこともない人もいて、いつものように様々な視点が出されました。

小畑さんの話にQOL(生活の質)が出てきましたが、それと同時に、QOD(クオリティ・オブ・デス:死をどう迎えるか)が大切だと「看取り」の現場で活動されている人が、生々しい実体験を踏まえての指摘をしてくれました。
最近ようやく日本でもQODの議論が広がりだしていますが、この面ではまだまだ日本遅れているように思います。

小畑さんは、老化による要介護状態(生活に何らかの支障が生じる期間)は男性で9年、女性で12年半くらいというデータを紹介してくれましたが、小畑さんの場合、10年にわたる生活支援の中で、「看取り」を意識したのは、最後の3年程度だったそうです。
もちろん人によって違うのでしょうが、生活の中で寄り添っていると、ある時点で、死が意識されだすようです。
「死の意識」。
それはたぶん双方それぞれに生まれてくる意識でしょう。
そこから何が変わっていくのか。
十分には議論できませんでしたが、とても大切なことが示唆されているように感じました。

看取りと看取られの話も出ました。
よく「ケアしていると思っていたら自分がケアされていた」というボランティア実践者の話を聞きますが、それは「看取り」にも言えるような気がします。
私たちは、看取りという行為が、死にいく人のための行為と考えがちですが、死にいく人が客体、看取る人が主体という関係を逆転して考えることも大切ではないかと思います。
それに、私の体験でもあるのですが、「看取り」から教えられることはとても多いです。
これもまたもう少し話し合う場を持ちたいテーマです。

自らの看取り体験に、いくばくかの心残りがあり、それが気になっている人も少なくありません。
サロンでもそうした思いが開陳されましたが、やはり死者は死んでからもなお、看取った人たちを見守っている気もしました。
若い時からこうした活動に触れてきている人が、見送った人たちが私たちの話を聞いているとしたらどう思っているだろうか、と言ってくれました。
看取りは完結する行為ではなく、実は終わりのない関係なのかもしれません。

ちなみに、「エンディングノート」の話題も出ましたが、時にそれが奇妙なビジネスの餌食になっていることの指摘もありました。
いまや時代は、あらゆるものを「商品化」「市場化」してしまう状況で、「看取り」もその餌食になってしまう惧れは否定できません。
それに対して、最近、施設や病院ではなく、自分たちで終の棲家、あるいは終のコミュニティを創ろうという動きが出てきているという紹介もありました。
私が目指していることの一つです。

看取り体験をもっと共有化できるようなことに取り組めないかという話も出ました。
病院や施設では少しずつ始まっているようですが、実は、小畑さんとは、そうした看取りでの体験知を集めて、社会の共通資産にできないかという構想を話し出しています。
しかしまだその一歩を踏み出せずにいます。
仲間になってくださる人がいたらご連絡ください。

いつものようにまた極めて主観的な報告になりましたが、参加者に恵まれて、実に拡がりのあるサロンだったと思います。
私もたくさんのことを考えさせられました。


Obata20170429


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■節子への挽歌3525:他者を悲しませない死

節子
今日は「看取り」をテーマにしたサロンでした。
こうしたテーマに関して、もうわだかまりなく考えられるようになっていると思っていますが、そして実際にもそうなのですが、話し終わった後に、やはり疲労感が襲ってきます。
看取りをテーマにしたサロンにこだわっていること自体、実はまだ解放されていないのかもしれません。

もっと驚くのは、死や看取りに関して、自分でも思ってもいなかった言葉が自然と出るようになってきていることです。
今日も、なぜかだれにも看取られない「孤独死」がいいのではないか、と口に出してしまいました。
そんなことは、その時まで考えたこともありませんでした。
しかし、嘘をついたのではなく、その言葉がなぜか自然と出てしまったのです。

そして、考えてみると、孤独死こそ理想ではないかという気にさえなってきました。
ただ残念ながら孤独死するほどの自由は、生きている以上、望めないことかもしれません。
結局、人は孤独ではないからです。
テレビで時々「孤独死報道」がありますが、私が考えた孤独死は、死後もまた誰にも迷惑をかけない死に方です。
死後に迷惑をかけるのであれば、孤独死とは言い難い。

私の言葉遣いは、ちょっとおかしいかもしれません。
いつかもう少し敷衍したいと思いますが、孤独であれば、死は存在しないと思うのです。
前に書いたことがありますが、私にとって実感する死は、他者の死であって、私自身の死は絶対に体験できません。
であれば、他者がいない孤独の生には、孤独死はあり得ない。
そして他者がいなければ、つまり孤独に生きられるのであれば、死の悲しみは体験しないですむ。
そして他者に体験させなくてすむ。
他者を悲しませない死。
もしそんな死に方ができるのであれば、それがやはり理想だなと思います。

節子の死で、私は生き方が大きく変わってしまいました。
それは私にとってはとてもつらくて哀しいことでした。
もし私の死が、誰かにそんな悲しさや辛さを与えてしまうとしたら、その死は避けたいと思います。
節子は、私たちのために死を先延ばししていたのではないかということは書いたことがありますが、節子にとっての死は、自らの死ではなかったのです。
そんな気がずっとしています。

誰にも認識されずに、そういえば、最近あいつの噂を訊かないなあといわれながら、いつか噂する人もいなくなってしまう。
そんな死が望めるのであれば、最高です。

でもそれは私には望みうべくもない。
隠居とか遊行とは、そういうことなのだなと今日は気づいたのです。
孤独死は、私には夢のまた夢です。

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2017/04/28

■節子への挽歌3524:ほっこりさに飢えてきた社会


節子
昨日、電車で出会った小さな出来事をブログとフェイスブックに書きました。
「じゃんけんで勝ったものが席を譲る」という記事です。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2017/04/post-6f8a.html

最近、北朝鮮と日米韓の関係がきな臭くなっています。
それを揶揄しての、ささやかな話のつもりだったのですが、フェイスブックでの反応が大きく、書いた日だけで、200人を超える「いいね」があり、10人を超える人がシェアしました。
私はむしろそのことに驚きました。
というのも、そんな風景は時々見る風景だからです。
にもかかわらず多くの人が「とてもすばらしい」「ほっこりする」などとわざわざ書いてくれているのです。
天邪鬼の私としては、むしろそこに奇妙な違和感を持ってしまいました。
こんなことさえそんなに拍手すべきことになったのか。
そんな気がしてきたのです。

私たちが若いころの社会は、あたたかさがありました。
しかし経済的に豊かになるにつれて、人間的なものがどんどん変わってきた気もします。
そうした動きに、どこか違和感があり、私はそこから脱落してしまいましたが、たぶん節子もまた、そうした変化には調和できない人間的な時代の生き方の人でした。
もっとも節子は、奇妙にそうした現代的な、都会的なものへの関心もありました。
東京の丸の内界隈が開発されたり、何か現代的なイベントが行われたりするとき、節子から誘われたことも何回かあります。
私もついついそれに付き合いましたが、新しいところはどうも好きにはなれませんでした。
節子がいたころまでは、それでもまだどこかにあたたかさがありました。
しかし、最近の都心のビル街は、居場所がなかなか見つかりません。
私ももはや時代遅れの人になってしまっているんでしょう。

湯島のビルのエレベータであれば、小さなので一緒になった人に気楽に声もかけられますが、高層ビルのエレベータは最近は大きくなって、声をかけるような空間ではなくなってしまいました。
さすがの節子も、最近の新しいビル街は好きにはなれないでしょう。

節子はいい時代に生きていたのかもしれません。
私は少し長生きしすぎているのかもしれません。

今日はちょっと思いついたことがあるのですが、それを書くのは明日にしましょう。

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2017/04/27

■じゃんけんで勝ったものが席を譲る文化

昨日の地下鉄日比谷線での小さな出来事です。
広尾から乗車したのですが、次の六本木で小学生(たぶん1年生)が3人乗車してきました。
私の隣の席が2つ開いていました。
さてどうするか。
3人は譲り合っていましたが、結局、じゃんけんをして負けた2人が座りました。
で、ついつい、「どうして勝った人ではなくて負けた人が座ったの?」と訊きました。
最近、東京ではむやみに子どもに話しかけるのはやめた方がいいようなのですが、気になったことは質問したくなる性分は直りません。
彼女たちは怪訝そうに私の顔を見て、一瞬間をおいて,みんなが異口同音に「みんな譲り合っていたから」と答えたのです。
なるほど、相手に座ってほしいという思いをかなえるのがじゃんけんで勝った人のご褒美なのだと納得しました。
生物的にか弱い人類が、過酷な自然の中で生き残ってきたのは、こうした発想の影でしょう。

北朝鮮と日韓米のいまの状況は、たぶんそうした人類の歴史に反しています。
この子たちの、素直な優しさが、どこで変えられてしまうのだろうかと思いました。
じゃんけんで勝った人が譲る社会を取り戻したいものです。

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■節子への挽歌3523:人は、思わぬところで生きていて、思わぬ人に会っている

節子
ある人からメールが来ました。
こんなメールです。

友人の紹介で、コミーという会社に行って小宮山さんに案内してもらいました。 ところが小宮山さんから、「しゅうさん」と言う言葉が何度も出て、どなたかなあと思っていたら、佐藤さんなんですね。 不思議なご縁にびっくりです。

私もびっくりです。
それに小宮山さんは、その人が私の知り合いなどとは知る由もありません。
なぜ「しゅうさん」の名前が何回も出てきたのか、いささか気になりますが、おかげでまったく無関係な3人がつながっていることがわかったわけです。
その人は群馬県在住ですし、小宮山さんは埼玉在住、私は千葉在住で、地域的にも離れていますし、活動分野もそれぞれ全く違うのです。

ところで、このことからこんなことがわかります。
人は、思わぬところで生きていて、思わぬ人に会っている。
私は、自分では気づかないままに、埼玉で群馬の友人に出会っていたわけです。
今回は、友人が教えてくれたからわかりましたが、私はもっとさまざまなところで生きているのでしょう。
そう考えると、孤独の人などいないのです。
みんないろんなところで生きていますから、たとえ引きこもろうとも寝たきりになろうとも、決して一人ではないのです。
孤独死など、あろうはずもないのです。

今度の土曜日に、「看取り」をテーマにしたサロンを開きます。
その参加を連絡してきた友人が、こう書いています。

私は、誰にも看取られずにウマク🐴鎮かに死にたいと願っていますがー。 こういう人間もいるのですよね。
ちなみに、「ウマク🐴」というのは、この人は乗馬が趣味の人で、人よりも馬や猫が好きな人なので、こんな表現をしています。

誰にも看取られずに死ぬことになるだろうなという人は私のまわりにも何人もいます。
でもそんなことはありえないのです。
みんな誰かに見守られて生き、最後も看取られているのです。
自分では気づかないかもしれませんが、どこかで誰かの中に生きているのです。
そして自分では知らないうちに、誰かの世界の一部を構成し、誰かに会っている。
そんな気がします。
この世に生を享けた以上、孤独であるはずがないのです。
でもそれが実感できないのが現在かもしれません。
しかし、それはそう思えばいいだけなのです。

孤独だという「傲慢さ」は捨てなければいけません。
孤独では生きてなどいけないのですから。
生きている以上は、孤独ではないということなのです。

あれ!
書こうと思っていたことがいつの間にか違うことを書いてしまいました。
書こうと思ったのは、節子もまだ生きているということだったのですが。
困ったものです。

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2017/04/26

■小さき人々の抵抗の声

先週、テレビの「こころの時代」で、ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんが被曝後の福島の人たちを訪ねて耳を傾ける「“小さき人々”の声を求めて」を見ました。
それに触発されて、ソ連崩壊後のロシアの“小さき人々”を聞き書きした「セカンドハンドの時代」を読みました。
なんとも読みにくかったので、やはり「チェルノブイリの祈り」を読むことにしました。

彼女はベラルーシの作家ですが、彼女が「小さき人々」と呼ぶ民の声を発掘し、それを自分の耳に聞こえるままに記録するという独自の文学を築いた人です。
チェルノブイリ原発事故の後も被災者の声を聞き歩いた彼女にとっては、福島取材の機会をずっと待っていたのだそうです。
とてもていねいな取材だったことを感じました。

小さき人々の声は、多くの場合、とても穏やかで温かさがあります。
しかし、そこには鋭い体制への批判が含意されています。
デモで声高に唱えられる「シュプレヒコール」とは全く違って、聴く人の心に入り込んでくる、真実があります。
ですからその時はもちろんですが、いつまでも聴く人の心に残ります。
もっとも聴く人の心のありかたに大きく影響されるでしょうが。

アレクシエービッチさんは、テレビの中で、繰り返し、私の国にも日本にも「抵抗の文化」がないと語っていました。
静かに語ることこそ、まさに抵抗の文化かもしれませんが、それを踏みにじる政府のもとでは、残念ながら聴く人がいないおそれがあります。
ですから、アレクシエービッチさんの活動は大きな意味をもっているのだろうと思います。

昨今のマスコミは、小さき人々よりも大きな人たちの声を紹介します。
小さき人々の声を聞きだすことは、難しいでしょうし、なによりも聴く人の知性を露わにします。それに比べて、自分から話したがっている「大きな人たち」の声を聞くのは楽ですし、なによりも誰にでもできる上に、危険は伴いません。

辺野古の工事は始まり、玄海原発の再稼働も決まりました。
小さき人々の声を、少なくとも私はしっかりと耳を傾けて聴こうと思います。
そこから「抵抗」は始まるでしょうから。

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■節子への挽歌3522:話を聴いてくれる人の大切さ

節子
やはり喉風邪のようです。
昨日はかなり回復してホッとしていたのですが、やはり順調に風邪に向かっているようです。
困ったものです。

もう風邪はやめようと思っていましたが、どこかに油断があったようです。
まあ心当たりはいろいろとあるので、油断だらけだったというべきかもしれません。

あいにく今日はいささか気の重い話ばかり予定されています。
こういう時に限って、なのです。
節子がいた頃は、気の重い話もいつもシェアしてくれましたし、少なくとも私の立場を理解してくれていました。
それだけでも、まったく違います。
すべてを一人で、それも内に込めて、抱え込んでしまうのは精神的にも身体的にもよくありません。
かといってこういうところに書きこむこともできません。
「王様の耳はロバの耳」という話が思い出されます。

先週、テレビの「こころの時代」で、ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんが被曝後の福島の人たちを訪ねて耳を傾ける「“小さき人々”の声を求めて」を見ました。
それに触発されて、ソ連崩壊後のロシアの“小さき人々”を聞き書きした「セカンドハンドの時代」を読みました。
彼女はベラルーシの作家ですが、彼女が「小さき人々」と呼ぶ民の声を発掘し、それを自分の耳に聞こえるままに記録するという独自の文学を築いた人です。
チェルノブイリ原発事故の後も被災者の声を聞き歩いた彼女にとっては、福島取材をずっと待っていたのだそうです。
小さき人々の声は、ほとんどが体制への批判を意味しますので、大変な勇気と忍耐が求められます。
それに、小さき人々の声を聞きだす作業は、自分から話したがっている「大きな人たち」と違って、苦労も多いでしょう。

本やテレビで、小さき人々の発言に触れると、発言することの意味がよくわかります。
そして、発言を聴いてくれる人の存在が、とても大事なことがよくわかります。
聴いてくれる人がいなくなって、それは真に知ることです。

今朝、また、tugiさんがコメントくださいました。

いつも今でも一緒にいると思っていても、さがしても、さがしても、もう声を聞くことも、触れることもできません。

tugiさんも、話を聴いてくれる人との別れを体験された方のようです。
お気持ちがよくわかります。

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2017/04/25

■節子への挽歌3521:久しぶりに献花台をきれいにしました

節子
昨日、挽歌103「まさか節子が献花にきたのではないでしょうね」にコメントがありました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2007/12/post_72f6.html
それで私も久しぶりにその挽歌を読みました。
そういえば、そんなこともあったなと当時を思い出しました。
挽歌をまた最初から読み直してみたら、いろんな気付きがあることでしょう。

ところでそのコメントを読みながら、そういえば庭の献花台の手入れを最近していないことに気づきました。
もしかしたら、それを知らせるために、節子が Tugiさんを名乗って、コメントしてきたのかもしれません。
そんな気もして、今日は献花台のまわりを少し整理しました。
といっても、あんまり体調が良くないため、まあいつものように「適当」にですが。
献花台に供えていた花瓶がないのに気づきました。
いやはや節子は怒っているか、嘆いているかしていることでしょう。
花瓶を探しましたが、見つからないので、花の咲いている鉢を両側に置くことにしました。
まあそれで許してもらえるでしょう。
それにもうじきチューリップが咲きだすでしょう。

庭に鉢植えしていたモッコウバラが咲いているのに気づきました。
手入れが悪かったせいで、この数年、あまり咲かなかったのです。
これは節子が植えたもので、香りのよい白い花のモッコウバラです。
私はどちらかというと、黄色のモッコウバラが元気で好きなのですが、節子は白が好きだったのです。
娘によれば、節子が植えたのに、節子が病気になったためか、節子がいた頃には咲かなかったのだそうです。
義理堅い花です。

5月に例年やっている庭でのカフェサロンを予定していますので、
少し庭をきれいにしなくてはいけません。
例年なら藤が咲いてくれるのですが、昨年全滅してしまったので、今年は咲いてくれそうもありません。
かなりの鉢植えの花木も枯れてしまったので、今年は少し殺風景かもしれません。
それにすぐ隣に家が建ってしまったので、展望も悪くなりました。
でもまあ天気さえ良ければ、5月27日~28日にフリーカフェを開店する予定です。

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■節子への挽歌3520:眼科医に飽きてきました

節子
昨日は眼医者に行ってきました。
すごく混んでいる眼医者なので、いつも2時間はかかります。
私は待つのが苦手なのですが、ここはとても巧妙に仕組みられていて、私でも大丈夫です。
まず10~20分待っていると、看護師さんが診察券と保険証を返しに来ます。
それから20分ほどたつと検査室に呼ばれて、眼圧検査や視力検査を行います。
そして瞳孔が開く目薬を点滴されます。
20分ほどたつと薬が効いてきて、検査がしやすくなるのだそうです。
20分近く経つと看護師が来て、その目薬の効果を確認しに来ます。
そしてもう大丈夫なので、そろそろ診察ですと言われます。
そしてそれから少しして診察室に呼ばれるのです。
診察は5~10分で、医師との人間的な交流があります。
こんな次第で、診察終了までに1時間から1時間半かかるのですが、適当な時間をおいて、なんらかの声かけがあるので、待つのがさほど苦痛ではないのです。
20分単位で次の工程に送られる感じですので、飽きることがありません。
苦痛なのは、診察終了後の会計が遅いことです。
これがまた20分ほどかかるのです。
会計が遅い理由は、会計担当者が専門化されていないからです。
この点が、この眼科医の欠点で、これさえ直せば、もっと不満は減るでしょう。
しかし、ここに多くのヒントが含まれているのかもしれません。

私はいつも、どこに改善点がないかと観察しているので、あまり待たされ感がありません。
しかし、もう少し工夫したらもっとみんなが満足するし、待たされ感をもたないだろうなと思うこともあります。
私にコンサルティングさせてもらえれば、待合室の混み具合は減るはずです。
レイアウトや椅子などにも改善点があることにも気づきます。
だから退屈はしませんし、待つことの苦手な私もそれなりに楽しめます。
それにベルトコンベアの上を流れる商品の気持ちも味わえますし。
それはけっこう快適なものです。
まあ、最近の多くの人の生き方はそれに近いのでしょうが。

しかし、時に流れが乱れることがあります。
昨日がそうでした。
最初に50分近くも待たされてしまったのです。
いま来ているのは白内障予防のためですが、白内障の手術をしてしまえば、来なくてよくなります。
定期的に通うか、手術で終わりにするか。
というわけで、うっかり手術をしようと決めてしまいました。
まあこういう無思慮な決断が最近増えています。
さてさてどうするか。
フェイスブックに書いたら、賛否両論で、ますます迷います。
主体性のない生き方は、面白いですが、面倒くさいです。
秋になったら手術をしようと思います。

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2017/04/24

■節子への挽歌3519:体調が悪いと気持ちが暴発します

節子
この数日、どうも他者に対する対応がよくありません。
私は、気持ちが表情に出てしまうだけでなく、機嫌が言葉にでてしまうタイプなのです。
たぶん心身の作りが単純なのでしょう。
自分で自分をコントロールできない、未成熟な人間なのです。
しかもその表情や態度が、自分でもわかるのです。
そうした、「性格が悪い自分」への嫌悪感に襲われてしまうことが時々あるのです。
この数日が、そうです。
この数日、私にあったり電話したりした人の中には、不快感を持った人もいるでしょう。
困ったものです。
しかし、表情も言葉も、そこには嘘はないのです。
その時の素直な私が出ているわけです。
だからなおさら困るのです。
その時の自分は、本来の私ではないと抗弁したい気もしますが、まあどちらも私であることは間違いない事実です。

人は、自分でも気づかないうちに、気持ちを鬱積させています。
それが時に、はけ口を求めて暴発してしまう。
運の悪い人が、その相手になってしまう。
多くの場合、その人は鬱積した気持ちの犯人ではないのですが、しかしどこかでつながっているのかもしれません。

昨日は電話でかなり暴発してしまいました。
少なくとも3人の人が犠牲になりました。
こんな時に電話してきてほしくないのですが(私は電話が嫌いです)、相手は私の状況など知る由もありません。
とばっちりを受けてしまったわけです。
まあそのおかげで私はかなりバランスを取り戻しました。
デモなんだか昨日は疲れ切っていて、9時に寝てしまいました。

しかし、この数日、なぜ暴発気味だったのか。
今朝、原因がわかりました。
風邪を引いたのです。
そういえば、この数日体調があまりよくありませんでした。
いま思えば、風邪の予兆でした。
朝起きてすぐに歯を磨けば風邪はひかないと教えてもらったので、そうしていましたが、1週間ほど前からそれをやめてしまっていました。
そのためにどうも風邪をひいてしまったようです。
困ったものです。
体調の悪さが機嫌に直結しているのも、私の未熟なところです。
それで、ただでさえ未成熟な心身が気持ちを増幅させて暴発させてしまった。
そう考えることにしましょう。
性格の悪さではなく、体調の悪さのせいにすれば、少しは心やすまります。

しかし今日はこれから眼医者さんに行かなければいけません。
いやそればかりではなく、今週はめずらしく約束の多い週なのです。
果たして身心は持つでしょうか。

こんな時に、風邪などひくとは、人生はなかなかうまくいきません。
困ったものです。
なんだかぞくぞくしてきました。
さてさて。

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2017/04/23

■節子への挽歌3518:心優しい人たちを思い出すと涙が浮かんできます

節子
秋山さんを覚えているでしょうか。
40代で事故に遭い、その後遺症が残ってしまい、人生を大きく変えてしまった人です。
障がいを持った人でも働ける場をつくりたいと相談に来ました。
秋山さんが立ち上げたNPOを、ささやかに応援させてもらいました。
秋山さんの主催するイベントに参加したり、館山まで行って相談に乗ったりしました。
一時は大きなイベントを主催するところまで行き、私の役割もなくなってきました。
物事がうまく動き出せば、私の存在意味はなくなるというのが、私の考え方です。

節子の葬儀には、身体が不自由にもかかわらず来てくださり、最後までずっといてくれました。
以来、気になりながら、ネットなどの情報にしか触れずにいました。
最近、その情報も途絶えてしまったので気になっていたのですが、昨日、秋山さんのNPOで活動していた人からたまたまメールが来ました。
それで秋山さんのことを訊ねたのですが、NPOは他の人に譲り施設に入居したのだそうです。
どこに入居したのか、NPOに訊いてもわからないというのです。

秋山さんのNPO活動は、新聞などでも報道されたり、華やかな時もありました。
しかし私にはなんとなくわかるのですが、秋山さんはそんなことは望んでいなかったのだと思います。
ただただ心許す人たちと支え合える生き方をしたかったのではなかったのか。

節子の葬儀の時、秋山さんは火葬場まで来てくれました。
私以外は知り合いがいなかったのと、足が悪かったため、みんなとはちょっと離れた場所に一人で座っていました。
気になって、みんなのところにお誘いしましたが、秋山さんは一人でいたいと言って、そこを離れませんでした。
喪主として私は秋山さんとゆっくりお話するわけにもいきませんでしたが、なぜかそれがずっと気になっていました。
秋山さんは、もしかしたら、あの時、何かを私と節子に話していたのかもしれません。

節子も秋山さんのことを知っています。
秋山さんは時々湯島に相談に来ていたからです。
身体に加えて秋山さんは言語障害もありました。
そのためそれまで経営していた会社もうまくいかず、家庭も壊れてしまったとお聞きしました。
とても心優しい人で、いつも前を向いていましたが、私にはちょっと周りに利用されたのではないかという思いもあります。

秋山さんに再会するのは、もしかしたら彼岸かもしれません。
どちらが先に彼岸に行くかはわかりませんが、彼岸でも、きっと私のことは覚えていてくれるでしょう。

心優しい友人たちの恵まれた人生でした。
いや、過去形ではなく、現在形で表現すべきでしょうね。
しかし、なぜか心優しい人たちは、此岸ではあまり幸せでないのかもしれません。
心優しい人たちを思い出すと、なぜかいつも心に涙が浮かんできます。

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■節子への挽歌3517:思いを放すことの大切さ

節子
時にドキッとする発言に出合うことがあります。
しばらく前の話なのですが、しばらくぶりに会った若い女性も交えて、ある話題に関して話をしていたのですが、別れ際にその女性が、私のところに寄ってきて、ドキッとする発言をしたのです。
残念ながら、たぶん予想しているような内容の言葉ではありません。

それは、「初期がんなのです」!
最初は耳を疑いました。
あまりにも唐突であり、しかもなぜそれを私に言うのか、と。
しかも、実にあっけらかんと、明るい調子で言うのです。
「まだ母にも話していないのです。心配するでしょうから」
その口ぶりからは、たぶん同席していた人は誰も知らないことでしょう。
しかし、その口ぶりから、がんの診断を受けたのはつい最近のようです。
もしかしたら、誰かに伝えたかったのかもしれません。
でも伝えられない。
そこであまり会うことのない私に、もらしたのかもしれません。
私からは他の人に伝わることはまずないでしょうから。

しかし、私としては何と答えていいかわかりませんでした。
あまりにも突然のことであり、しかも別れ際だったからです。
みんなのところに戻ったら、彼女は何もなかったように、それまでの会話に戻りました。
ますます対応ができなくなりました。
でも、私には、「初期がんなのです」と誰かに言えたことで、彼女の心が少し晴れたような気がしました。
同時に、その日の彼女の話しぶりに圧倒されていたのですが、もしかしたら、彼女が私が席を立つ暇もないほどに話し続けていたのは、「初期がんなのです」という思いが、身心に充満していたためかもしれないという思いもしました。
帰宅してから、彼女にメールを送りましたが、返事はありませんでした。
以来、ずっと気になっています。

この話は少し前の話なのですが、昨日、サロンに参加した人が、サロンのテーマとは関係ない、ちょっと自分に降りかかってきているトラブルを話しだしました。
幸いに、サロンに参加していた数名がその話を熱心に聞きました。
サロンが終わった後、彼女が私に言いました。
今日はみんなに聞いてもらって、それだけで心が晴れました、と。
彼女の安堵した表情を見て、しばらく前のこの「初期がん」発言を思い出したのです。

たしかそろそろ検査結果が出るような話でした。
私も少し動じてしまい、正確に記憶していないのですが。
節子のがんが発見された時のことも思います。

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■リンカーンクラブサロン「税制改革と政治革命の可能性」報告

昨日のリンカーンクラブサロンは、異論が飛び交う大荒れの話し合いになりました。
しかしとても平和裏に進んだのでご心配なく。
異論をぶつけ合うことこそ、民主主義の原点なのです。

テーマは「税制改革と政治改革」でしたが、あまりに大きなテーマなうえに話が大きな話から入ったために、話題が広がりすぎてしまった感があります。
政治の問題には関心があるが、リンカーンクラブサロンはちょっと敷居が高いといっていた、自称「ただの主婦」の方も初めて参加してくださいましたが、議論が飛び交う雰囲気にちょっと戸惑ったかもしれません。
でも次の予定があるにもかかわらず、結局最後まで残ってくれました。
初参加のおふたりの女性は、話し手の武田さんが異論をすべて寛容に受け止めてくれることに感心していました。
あまりに話が広がったので、武田さんの「妙案」がしっかりと議論されなかったのが残念ですが、武田さんの「妙案」は、改めて雑誌に掲載されますので、ご関心のある方にはPDFを送ります。
リンカーンクラブのホームページにも掲載します。

ちなみに、参加者から「税制がらみでの企業の海外流出」や「ベーシックインカム」の問題も提起されましたが、深掘りまで至りませんでした。
私の責任です。
初参加の方が4人もいて、しかも3人は女性でしたので、もう少し柔らかな運営をできればよかったのですが、前半の話し合いは参加しにくかったかもしれません。
私にとっては大いに反省の残るサロンでしたが、終了後もみんなそれぞれに話していて、私はなかなか帰れませんでしたので、まあそれはそれでいいサロンだったということにさせてもらいましょう。
いろんな人が、ちょっと政治につながるような話し合いの場がもっともっと増えていけばいいなと思います。

今回も参加者のお一人が取り組んでいる「主権者教育」の話が出ましたが、
次回は、5月6日に「教育勅語」を読むサロンです。
これはまさに「主権者教育」にもつながるテーマです。
多くの人に参加していただきたいと思っています。

Lc20170422


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2017/04/22

■節子への挽歌3516:人は居心地のいいところで人生を終える

節子
昨夜、少し古い「小さな村の物語212」を録画で見ました。
オーストリア国境近くの谷あいの小さな村プレドーイが舞台です。
半年を山小屋で過ごす畜産農家のヘルムットさんが、主役の一人でした。
冬が近づくとふもとの実家に戻るのだそうですが、冬の到来を前に、ヘルムットさんがこう話していました。

自然は死があるから、また新しく生まれ変われるんです。

何気なく聞いていましたが、昨夜ベッドに入ってから気になってしまい、今朝起きてからすぐにその部分だけを見直しました。
死があるから生がある。
死は誕生なのです。
自然の中で、自然と共に生きていると、それが自然とわかってくのでしょう。

もうひとりの主役の銅鉱山博物館の職員のルイーザさんはこう語っています。

真っ直ぐだったり曲がりくねった人生だったけど、居心地のいいところに落ち着きました。

それもまた自然から学んだことに違いないと思いました。
なんでもない2つの言葉ですが、いろいろと考えさせられました。
嘆いていても何も変わらない。


同い年の友人の訃報が届きました。
世界はこうしていのちを受け継いできているのでしょう。
人はきっと、居心地のいいところで、人生を終えるのでしょう。
他の人にはわからなくても、きっとそうに違いない。
節子もきっとそうだったに違いない。

そう思えるようになってきました


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2017/04/21

■節子への挽歌3515:鳩が巣を作りました

節子
庭の木に鳩が巣をつくってしまいました。
節子は死の直前に、また鳥や花になって戻ってくると書き残しましたが、私は、鳥があまり好きではありません。
困ったものです。
せめて蝶とかトンボとかと言ってくれたらよかったのですが、なぜか鳥でした。
節子は酉年でしたから、そのためかもしれません。
しかし私は、子どもの頃、手塚治虫の「ロック冒険記」を読んで以来、鳥にある種の恐怖感があるのです。
母が鳥を飼っていたことがありますが、どうも苦手でした。
嘴と足が特に生理的に苦手なのです。

そんなわけでわが家には鳥に住んでほしくないのですが、数年前も小さな鳥が巣を作りました。
2羽生まれましたが、1羽は育ちませんでした。
だから巣は作ってほしくないのです。

実は節子のいた頃から、毎年、庭の藤棚に鳩がやって来て巣づくりをしようとしていました。
節子もそれは反対で、鳩には悪いのですが、巣づくりは断っていたのです。
その藤棚が昨年の台風で壊れてしまったので今年は大丈夫だなと思っていました。
ところがあまり人がいかない家の横の木に巣がつくられているのに気づいたのです。
すでに卵が産まれていましたので、もう立ち退き勧告もできません。
巣の中にある卵を食べてしまう方法もありますが、不思議なもので、鶏の卵は食べられても、鳩の卵は食べる気が起きません。
そうなると今度は、この卵をカラスとヘビから守らないといけません。
なんだか理屈に合わない気がするのですが、それ以外の選択肢はありません。
困ったものです。

時々、親鳩が卵を抱いてあたためています。
その時には、目があっても鳩は動じません。
むしろ私が睨まれているようで、ついついあやまってしまいます。
しかしどう見ても、この鳩は節子ではなさそうです。

節子
できれば鳥になってやってくるのはやめてくれませんか。
せめて鳥ならば、スズメにしてもらえないでしょうか。


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Hato20170421


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■節子への挽歌3514:節子の存在がいまもなお生きています

節子
昨日は1年ぶりに新潟に行ってきました。
金田さんが主宰している「みんカフェ・新潟」に1年ぶりに参加しませんかと誘われたのです。
その動きが少し気になっていたので、思い切って行くことにしました。

そのおかげで、高見さんに会うことができました。
サロンが始まる前に、金田さんと高見さんとで食事をしました。
高見さんを知ったのは、節子がいなくなってからです。
最初にあったのは、たしか被災後の南相馬でした。
お互いに何をやっているかをきちんと話し合ったことはないのですが、同じものを感じているのです。
それで私が新潟に行くと言うので、最近の資料などを持ってきてくれて、これからの構想などを話してくれたのです。
輝くような内容でした。
私と違って、しっかりと組織的に活動しています。

別れ際に、佐藤さんの奥さんへの思いに感心しますよと言うようなことを呟きました。
この挽歌も読んだことがあるようです。

この挽歌を通して、節子と私のことを知ってくれた人に、時々出会います。
たぶん、それを通して、私の人柄を構築してくれている人がいるかもしれません。
おかしな言い方ですが、節子の存在は、私の人間像の形成に影響を与えることもあるわけです。

この挽歌を読んだ、私をまったく知らない人は、どんな人間像を持ってくれるのでしょうか。
いまもなお節子は、私にとっては存在する伴侶なのかもしれません。

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2017/04/19

■節子への挽歌3513:終わり方を振り出しに戻しました

節子
いとこたちと久しぶりに会いました。
今回、集まったなかでは私が下から2番目ですが、年上の方がみんな元気なのです。
さまざまな人生のしがらみから解放されている人ほど、元気な気がします。
これは、人との付き合いは、煩わしい一方で、人生を豊かにするという私の考えに反します。
考え方を少し変えたほうがいいかもしれません。
一番遠くから来たのは神戸からですが、彼は結婚もせずに人生を楽しんできました。
いまはゴルフと旅行とサスペンスドラマを楽しんでいるようですが、心を許せる友人以外は、あまり人に会っていないようです。
もちろん同窓会や会社時代の同期会などには参加しているようですが、気の向くままの悠々自適な暮らしぶりを感じました。
時々、いとこに会いたくなって東京にやってくるので、彼が上京するたびに、私がいとこたちに声をかける役割なのです。
関東にいるいとこたちも、彼が来ないとなかなか集まるきっかけが得られません。
ライフスタイルがそれぞれ違うので、普段は集まろうという気にはなかなかなりません。

集まった直後は、とりあえず健康の話です。
みんな70~80代なので、いつどうなってもおかしくありません。
それぞれに健康管理をしているようで、私もいろいろとアドバイスをもらいました。
まあしかし、人の健康は人それぞれです。

いとこたちは、私の生き方が理解できないと言います。
たしかに世間的には「常識」的でない生き方をしています。
苦労も多いし、心やすまらないことも少なくありません。
私も、最近は生き方を間違ったかなと思うこともないわけではありません。
しかし、まあ人生は一度きりしかないわけですから、間違っていたなどということはありません。
実際に生きてきた人生だけが、善し悪しや正誤を超えて、唯一の人生なのです。
間違っていたなどと思うのは、逃避でしかありません。

それにいまさら路線変更はできません。
困ったものですが、いま背負っている重荷を背負い続けていかなければいけません。
せめて荷物をさらに背負わないようにしたいですが、これまた生き方を変えられない以上、無理な話なのです。

私は生前葬をしたいので、その時に気が向いたら来てくださいと話しました。
でもだれも本気で聞いていなかったような気がします。
しかし考えてみると、生前葬をやるのも結構大変です。
節子がいたら、来週生前葬をやるのでよろしくと気楽に頼めますが、娘たちには頼みがたいです。
となると一人でやらねばいけません。
私の場合、自分の死期がわかってから生前葬をやろうと考えているのですが、それだとそもそも私に呼びかけるエネルギーが残っている可能性は少ないです。
節子がいないと、生前葬はできないかもしれません。

さてどういう終わり方をするか。もう一度考え直さないといけません。

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2017/04/18

■節子への挽歌3512:自然の悲しみが伝わってくるような朝です

昨夜から荒れ模様になっていて、今朝も雨風が吹き荒れています。
真夜中に目が覚めたのですが、枕元のデジタル時計が消えていました。
停電していたのです。
後で確認したら3時半で止まっていました。
いまは復旧していますが、外の雨風は激しさを増している感じです。
最近の天気は、実に移り気で、それが疲労の原因かもしれません。
自然もきっとストレスが多くて、時に発散したいのでしょう。
ちょっと親しみを感じます。
荒れたいときは適度に荒れたほうがいい。
そうしないと人生の平安は持続は難しく、どこかで暴発しかねません。

昨今の不幸な事件の報道に触れるたびに、
私は加害者の人生に思いが行ってしまいます。
もちろん加害者の行為は許されることではありませんが、
同時に、加害者を追い込んだであろう状況も気になります。
それはきっと私とも無縁ではないと思うからです。

そういう思いを持って、マスコミ関係者は報道してもらいたいと思います。
そうしないと、社会はさらにひどい荒れ模様になっていきかねません。
少なくとも、私自身はそういう思いで生きていこうと思います。
これもまた、節子との別れから学んだことです。
寂しさの奈落に落とされると、人は自らが見えなくなります。
私がいま、なんとか生きつづけられているのは、ある意味では奇跡としか言えません。

雨風の音を聞いていたら、そんな気がしてきました。

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2017/04/17

■カフェサロン「教育勅語を読んでみよう」のご案内

「教育勅語」が時々話題になっていますが、みなさんは読んだことはあるでしょうか。
短いものですが、文体の古さもあって、きちんと読んだことのある人は少ないかもしれません。
そこで、一度、みんなで「教育勅語」を読んで、話し合うサロンを開催することにしました。
併せて、平成18年に改正された教育基本法も読んでみたいと思います。

私は、教育が社会のあり方を方向づけていく基本だと思っています。
平成18年は、日本の曲がり角だったのではないかと考えています。
しかし、ほとんどの人が「教育基本法」を読んでいないでしょう。
ましてや、「教育勅語」を読んでいる人はいるか。

ぜひいろんな立場の人と一緒に、教育勅語を読んでみたいと思っています。

どんな話し合いになるかわかりませんが、よかったらご参加ください。
周りに関心をお持ちの方がいたら、ぜひお誘いください。
「教育勅語」支持者の参加も、もちろん大歓迎です。
さまざまな意見が自由に語り合える。
それが湯島の方針ですから。

〇日時:2017年5月6日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「教育勅語と改正教育基本法を読む」
*参加申込者には、教育勅語と改正教育基本法の条文をPDFで送らせてもらいますので、できれば事前にざっとでもいいですので読んでおいてください。
〇参加費:500円
○参加申込み:qzy00757@nifty.com

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■節子への挽歌3511:精神の老化

節子
湯島の隣のビルが解体されました。
私のオフィスがあるビルよりも、立派なビルだったのに、どうして壊してしまったのでしょうか。
私のような節約家にとっては、使えるビルを壊すということがどうも理解できません。
自然も大事にしなければいけませんが、一度建造した建物は、大事に使い込んでいきたものです。
湯島のオフィスの周辺も、この10年で大きく変わってしまいました。
高層のビルばかりです。
節子がやってきたら道に迷うかもしれません。
以前、節子と一緒に見たような、夕日ももう見えなくなってしまいました。

今日は湯島に来ていますが、いささか時間を持て余してしまっています。
先日、忽然と消えてしまった電源コードは今なお出現していませんし、デスクの上の水槽も芝エビも復活してきません。
元気だったら近くの友人のオフィスに久しぶりに顔を出そうかとも思ったのですが、最近また寝不足で疲労感に覆われています。
寝不足もありますが、気温の激しい変化の影響もあるかもしれません。
加えて、精神的なストレスです。
精神をいやしてくれる人がいないのは、疲れることです。
しかし、もしかしたら、多くの人は私と同じで、癒してくれる人がいないのかもしれません。

節子がいたころは、精神的なストレスが継続したことはありませんでした。
いまはその逆で、精神的ストレスが消え去ることがありません。

建て替えでリフレッシュする建物のように、人間も身体を入れ替えたら精神もリフレッシュできるでしょうか。
身体の老化は比較的受け入れやすいのですが、精神の老化は見えないだけに気になります。

そろそろ来客がありそうです。
疲れを見せないために、しゃんとしなければいけません。
見栄を張るのも一苦労です。
しかしまあ、どうせすぐ見破られてしまうでしょう。

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■節子への挽歌3510:久しぶりのジャズ

節子
昨日、久しぶりに、本当に久しぶりに、ジャズを聴きました。
友人の西山さんから、収録に関わったヒロ川島さんのCDを、たまにはジャズもいいですよ、といってもらっていたのです。
昨夜、聴いてみました。
久しぶりのジャズでした。
いろいろと思いがこみ上げてきます。

最近、音楽から遠のいているのです。
あまりに哀しいからです。
音楽の力は、それにしてもすごいと思います。
時空を超えて、風景が眼前によみがえってきます。
あのざわめき、あの香り、あの躍動感。
実際には、体験しなかったような風景までもが、現れてきます。
音楽は、いのちをつなげていく。

だからこそ、哀しいのです。

節子がいなくなってから、私は音楽をほとんど聴かなくなりました。
コンサートにも行ったことがありません。
音楽は、私の中では封印されてしまいました。

そんなわけで、ヒロ川島さんのCDはしばらく私の机の上に置かれたままでした。
昨夜、ちょっと気になってミニコンポで聴く気になりました。
これもまた久しぶりです。
最初の音で、一挙に封印が解けて、懐かしさがこみ上げてきました。
音楽の力は、やはりすごいものがあります。

音楽も歌も聴けなくなりましたが、いつも思い出す歌があります。
橋幸夫さんの「雨の中の2人」
雨が小粒の真珠なら…という歌です。
節子と一緒に、橿原神宮に行った時、雨が降ってきたのに傘がありませんでした。
参拝客は誰もいませんでした。
雨の中を、ふたりでこの歌を歌いながら、歩いたのを覚えています。
しかし、なぜか境内の記憶がありません。
音楽は記憶を呼び覚ませてくれますが、記憶を奪うこともあるようです。

今日また、聴いてみました。
ヒロ川島さんのトランペットは、心を震わせます。
やはり音楽は、封印しておきたい気もします。
あまりにも哀しいですから。

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■節子への挽歌3509:音のない朝

節子
静かな朝です。
なぜかいつもと違って、鳥たちのさえずりがない。
レーチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出すような朝です。
どうしたのでしょうか。

今朝も5時に目覚めました。
少し前までは、目覚めても寒いのでベッドの中からなかなか出られなかったのですが、昨日からはすぐにベッドを離れられるようになりました。
寝室の隣が私の仕事場で、パソコンがあります。
起きるとすぐにパソコンの電源を入れ、メールなどをチェックするのが私の毎日の始まりです。
節子は、それを嫌っていましたが。

それにしても、今朝は音がない。
まだ早いからでしょうか。
でもまもなく5時半ですから、鳥たちも起きているはずです。
下の道路の自動車の音もない。
音にない世界は、とても奇妙で、しかし何か新鮮です。

そこに「存在」するものが、ある時、突然なくなってしまう。
そういう状況に置かれると、意識が一変します。
この不思議な静寂。
心が洗われるような気持ちがします。
陽もさしだしてきました。
隣家の隙間から垣間見える手賀沼の湖面が輝きだしました。

と、遠くから鳩の鳴き声が聞こえてきました。
でもまだいつものにぎやかな鳥の声はしません。
外に出たら、鳥たちのさえずりが聞こえてくるのかもしれません。
そういえば、今日は、寝室から仕事場に直行し、パソコンを始めてしまったのです。
下に行って、シャッターを開けて外に出たら、世界はもう目覚めているかもしれません。

節子がいなくなってから、世界から音が消えたことがあります。
音のない世界は、不思議です。
自分の中に入り込んでいる自分に気づくこともある。
久しぶりに、ありがとうございました。の心境を体験した気分です。

でもどうして鳥が鳴いていないのでしょうか。
外に出てみれば、違う世界があるのかもしれません。

太陽が上がってきました。

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2017/04/16

■節子への挽歌3508:いのちのはかなさ

節子
蜂蜜を食べたことが原因で亡くなった幼児のことが報道されていました。
最近、乳幼児や子どもの死の報道が多いような気がします。
私自身の気持ちの持ち方のせいで、そういうニュースが目につきやすいためかもしれません。
今日も水難事故で亡くなった子供のニュースが流れていました。

子どものいのちは、いかにはかないものか、最近痛感します。
娘たちを、ここまで育ててくれた節子に、最近改めて畏敬の念を持ち始めています。
もっとも、あまり親孝行とは言い難い娘たちではありますが。
いまもなお心配が絶えませんが、まあそれは良しとしましょう。

いのちのはかなさを私が実感しだしたのは、つい最近です。
節子が亡くなってからも、死というものは、私よりも年長の人の話だと思っていましたから。
ですから節子の死が、どうしても受け入れられませんでした。
しかし、最近少し考えが変わってきました。
人の定めは、人それぞれで、それを素直に受け入れるべきだろうという考えになってきました。
そうしないと死んだ人が浮かばれません。
節子もまた人生を終えるべき時に終えたと思うと、心がやすまります。
節子は人生を全うした。
充実した人生だった。
そう思うことにしたのです。
いや、最近、ほんとうにそんな感じがしてきています。

人はいつも、死と背中合わせに、はかない世界で生きている。
その、はかない世界でどう生きるか。
節子はたぶん十分に生きたのではないかと思います。
闘病中の4年は、私よりもよほど充実して生きていた。

私もいつか、節子のようなしっかりとした生き方ができるようになるでしょうか。
死のはかなさは実感できてきたのですが、死そのものはなかなか実感できません。
死は、私にはまだ遠い世界のことでしかありません。
自らの死を実感するということは、やはり私にはまだ理解できずにいます。
それが幸福なのか不幸なのか、まだわかりませんが。

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■節子への挽歌3507:死の報道への違和感

節子
先月、我孫子で少女の遺体が発見されて以来、そのニュースが毎日報道されています。
ベトナム国籍の少女が殺害されるというむごい事件です。
大きな事件ではありますが、毎日のように詳しい捜査状況などが報道されていることに大きな違和感を持っています。
人の死をニュースにすること自体に、私は違和感があり、ひどい時代になったとしか思えません。
マスコミは、間違いなくそうした事件を誘発してきています。

こういう話は、時評編の話題ですが、こういう報道に触れるたびに思うのは、一人の死が、どれほど多くの人に人生を変えてしまうかということです。
無責任に報道しているマスコミ関係者には無縁の話でしょうが、もし自分が当事者になったら、こんな姿勢で報道はできないはずです。

人は、さまざまな人とのつながりのなかで生きています。
ですから、人の死は、その人のまわりのいのちを大きく変えていきます。
私は、伴侶の死を体験して、初めてそれを知りました。
両親の死の時には、まだ実感できずにいました。
自分よりも年長の両親であれば、それは決められた順序であり、受け入れることができました。
悲しかったりさびしかったりはするものの、天の道理にはかなっています。
しかし、自分よりも若い人の死は、辛いものです。
若い友人の死は、両親の死とおなじように、辛いものがありました。
節子は、私よりも4歳しか年下ではなかったですが、順番が違うことには受け入れがたいものがありました。
いや、いまもなお、受け入れられていないのです。

子どもに先立たれることの辛さは、私には想像を絶します。
子どもの死の報道にふれると、両親のことが気になります。
おそらく多くの人が人生を変えてしまっていることでしょう。
人間の歴史は、そういう悲しみに支えられて、自らを律してきたような気がします。
せめて報道する人たちには、そういう悲しみの気持を持ってほしいものです。
興味本位の報道が多いのが、とても哀しく淋しいです。

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2017/04/15

■節子への挽歌3506:手賀沼沿いの桜

節子
最近出版された一条さんの「人生の修め方」という本に、この挽歌のことが紹介されていて、そこに一条さんは毎日、般若心経をあげた後に、挽歌を書いているのが3000回もつづいたのはすごいとかいてくれました。
ところがどうも最近は、挽歌を書くのも途絶えがちで、しかも毎朝の般若心経も簡略型になることが多くなってしまっています。
般若心経の簡略型とは、般若心経の中でも、そのエッセンスが凝縮されているという最後の16文字、つまり「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」です。
お灯明とお線香だけは、在宅の時にはかかしたことはないのですが。

以前は、パソコンを開いて、「節子」と書きだすと、自然と書くことが浮かんできたのですが、最近は浮かんでこなくなってきてしまいました。
節子も今や、遠い人になったのかなあと思わないこともないのですが、昨夜はめずらしく、夢に節子が出てきました。
短い時間でしたが、会話もした気がします。
「あいかわらず・・・ね」と言われた記憶が残ったのですが、肝心の「・・・」が起きた途端におもいだせなくなりました。
なにが相変わらずなのでしょうか。

まあそれはともかく、やはり挽歌は朝に書くようにしようと思い、今朝は起きてすぐにパソコンに向かいました。
しかしパソコンを開いたら、またいろんなメッセージが届いていました。
それに対応しだすと、またあっという間に時間がたってしまいますので(なぜかパソコンに向かっているときの時間の進み方は速いのです)、簡単に返事できるもの以外は後回しにして、この挽歌を書きだしました。
でも、「節子」と書いたのに、書くことが浮かんでこない。
困ったものです。

仕方がないので、今朝届いていたメッセージのことから。
フェイスブックに、昨年、なぜかスペインの人からメッセージが届きました。
ていねいな日本語で書かれていましたが、差出人は覚えのある名前です。
節子も知っているラモちゃんで、娘の友だちのパートナーでした。
日本に来た時に、夫婦でわが家に立ち寄ってくれたのです。
そんなラモちゃんが、どうして私のフェイスブックにたどり着いたのかわかりませんが、フェイスブックのトップページの写真を変更したのを見て、「良いネットワーク」を押してきたのです。
それで「また日本に来たら我孫子にも立ち寄ってください」と書いたら、「来年行くかもしれない」と返事が今朝届いたのです。
フェイスブックはこういう思ってもいなかったことが起こるので面白いです。

それでラモちゃんが「いいね」といった写真を節子にも見てもらいましょう。
ちょっと散り始めた手賀沼沿いの桜です。
節子が元気だったころに比べるとだいぶ大きくなりました。

Tegasakura2014


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2017/04/14

■カフェサロン「沖縄が失ってしまったもの、失いつつあるもの」のご案内

沖縄をテーマにしたサロンは、これまでも何回かやりましたが、今回はちょっと違った視点からのサロンです。
話題提供してくださるのは、編集者として沖縄関係の本をたくさん出版してきた編集者の平井かおるさんです。
最初に手掛けた本が、「沖縄オバァ烈伝」(双葉社2000年)。
この本が、あの有名な朝ドラ「ちゅらさん」誕生のきっかけになったと、脚本家の岡田恵和さんは本書のあとがきに書いています。
以来、平井さんは20冊を超える沖縄関係本の出版に関わってきています。

沖縄の生活文化と長年付き合ってきた平井さんが、この10年の沖縄の変化を、たぶん「オバァたち」を切り口に話してくれると思います。
基地問題を切り口にしたサロンは何回かやりましたが、今回はもっと深層に関わる話です。
それはたぶん私たちの生き方にも、どこかでつながっていくはずです。
そして、私たちが「失いつつあるもの」にも気づかせてもらえるかもしれません。
面白いけれど、ちょっと苦味もあるサロンになりそうです。
オバァが切り口なので、内地のオバァ(予備軍)たちの参加も大歓迎です。
社会をつくっていくのは、オバァ、いや女性たちですから(これは私の偏見ですが)。

おまけとして、沖縄に伝わるクガニコトバ(黄金言葉=金言)も教えてくれるそうです。
平井さんによれば、クガニコトバも、その伝え手のオバァが壊滅状態になりつつある今、「失われつつあるもの」のひとつになっているということです。

さてどんなサロンになるか、とても楽しみです。
みなさんのご参加をお待ちします。

〇日時:2017年5月13日(土曜日)午後1時半~3時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「沖縄が失ってしまったもの、失いつつあるもの~一編集者がみた沖縄の10年」
〇話題提供者:平井かおるさん(沖縄オバァも友達のウーマク編集者)
〇参加費:500円
○参加申込み:qzy00757@nifty.com

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■まちづくりフォーラムで話をされませんか?

まちづくり編集会議準備会では、まちづくりフォーラムを開催していますが、事務局が企画するよりも、そういう場で話したいという人に話をしてもらった方が、「まちづくり編集会議」の主旨に合うことに気づきました。

20~30人ほどのフォーラムで、まちづくりに関心を持っている人たちが集まって、話し合うのが、私たちが考えている「まちづくりフォーラム」です。
まちづくりに取り組んでいる人や取り組もうとしている人に、そういう場で、問題提起や呼びかけをしてもらい、参加者がワークショップ風に話し合い、話した人も参加者も、そこから具体的なヒントを得たり、新しい活動につなげたりしていくことができないかと考えています。
事務局は、そうした場づくりをしていくというわけです。

ゲストによる講演会ではなく、参加者が一緒になって課題解決や新しいプロジェクトを起こしていくような、そんな共創型のフォーラムを育てていけないかと思います。
ぜひ何か話したい、呼びかけたい、問題解決のヒントを得たいという人がいたら、ご連絡ください。
一緒に、どういうフォーラムの場をつくったらいいかを相談しながら、共創型フォーラムを実現していきたいと思います。
ぜひ話したいという方がいたら、次にご連絡ください。
info@machiedit.com

よろしくお願いいたします。

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2017/04/13

■認知症予防ゲーム実践者交流会の報告


認知症予防ゲーム実践者交流会は10人を超す人が参加してくれました。
前回湯島でサロンをやったパズル療法士の細田さんなど、まだゲーム体験のない男性も3人参加してくれました。
実践している人たちは、ゲーム実践力はどんどん進化していきますが、それに伴い、目的が手段化していく傾向もあります。
大切なのはゲームを広げることではなく、ゲームを活かすことです。

これは認知症予防ゲームに限った話ではなく、さまざまな分野のNPO活動やボランティア活動に関わらせていただいていて、強く感ずることです。
私がさまざまなNPOに、余計なお世話的に関わらせてもらっているのは、そうした点で少しはお役にたてるかもしれないと考えているからです。

参加者のひとりが、「認知症予防」というと、何か「認知症」が悪いもので、避けなければいけないもののように聞こえるが、認知症は(生活習慣病のように)悪いものなのだろうかと発言されました。
私もずっと気になっていたことです。
これもNPOやボランティア活動でよく感ずることですが、言葉はとても微妙です。
以前、「自殺のない社会づくりネットワーク」を立ち上げた時に、自死遺族の人から「自殺した父が責められているように感ずる」といわれました。
言葉は、当事者の視点になって考えないといけないと教えられたのです。

考え方として「認知症予防ゲーム」は良いとして、しかしゲームに「認知症予防」という表現は再考する必要があるかもしれません。
それに、「みんなの認知症予防ゲーム」は、認知症予防だけに効果があるわけではありません。
もっと大きな効果があり、実際にもいろんな成果を上げてきています。
蛇足ですが、私は「認知症予防ゲーム」ではなく「認知症支援ゲーム」はどうだろうと提案してみました。
とても「受けました」が、冗談で終わりました。
でも、「認知症予防社会」よりは「認知症支援社会」のほうが、いつか認知症といわれるだろう私には、暮らしやすそうです。

参加者からそれぞれの活動の紹介がありましたが、やはり横から関わらせてもらっている立場から言えば、情報交換や一緒に何かを創りだしていこうという仕組みが相変わらずできていないような気がしました。
みんながバラバラにやっていては、大きなうねりにはなっていかないのではないかという指摘もありました。
またゲームの名称も、いつものように話題になりました。
「みんなの認知症予防ゲーム」では特徴が表現できず、伝播力がないというのです。

問題点はほぼみんなわかっているのですが、その解決がなかなか進まない。
やはりここは、ある意味での組織化が必要なのでしょうが、問題はだれがやるかです。
次回は何らかの形で動きだせればと思います。

話し合いが一段落したところで、細田さんにパズルセッションをやってもらいました。
細田さん開発のパズルを購入して、自分の活動にも取り入れたいという人やこれを広げる方法を考えたいという人など、そういう話になると一挙ににぎやかになります。

そして最後に、このゲームを体験したことのない3人の人が参加していましたので、ちょっとだけ体験してもらいました。

話し合いの内容はあまり報告できていませんが、みなさんの話を聞いていて、私が果たすべき役割が少し見えてきました。
今回で、この交流会も終わりにしようかと考えていましたが、むしろ発展させようかと思い出しました。
どなたか事務局的な役割を一緒にやってもいいという方がいたら、ご連絡ください。
よろしくお願いします。
また、夏か秋にでも、高林さんにも来てもらって、ゆるやかなネットワークのキックオフも考えたいと思います。

認知症支援社会の実現のために。

Ninchi201704


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2017/04/12

■節子への挽歌3505:女性が主役のグループは付き合いきれません

節子
今日、湯島で認知症予防ゲームに取り組んでいる人たちの交流会を開催しました。
私自身は、そのゲームを実際にやっているわけではないのですが、10数年前に、そのゲームを広げたいという高林さんに会って、応援すると約束してしまったために、まあ以来ずっと付き合っているのです。
約束は守らなければいけないというのが私の信条のひとつだからです。
でももうそろそろ卒業できるかと思うと、何か問題が起こってしまいます。
ゲームに取り組んでいる人の多くは女性たちです。
女性たちと付き合うのは苦労が絶えません。
困ったものです。

高林さんの活動拠点は京都の宇治市です。
もう80代の後半ですが、とても元気です。
高林さんがこの20年ほど、精魂傾けて取り組んでいるのが、このゲームです。
最近はかなり普及してきていますが、普及すれば普及するで、また問題が生まれます。
まあ女性と付き合うのはくたびれます。

今日は10人ほどの人が集まってくれました。
今日で終われるかと思ったら、また新しい課題が生まれてしまいました。
付き合いきれませんが、みんないい人なので断れません。
しかし、私の感じですが、いい人ばかりが集まると組織的発展は難しいのです。
悪い人、というのも語弊がありますが、少しばかり利己主義者がいるほうがどうも組織的活動は発展するのです。
私が途中で嫌気がさして協力をやめたグループは、いま発展しています。
ですから今度は、ちょっと私も悪気を出して取り組んだほうがいいのかもしれませんが、悪気は意図的に出すとうまくいきません。
本性からして「悪い人」、つまり本人には「悪気」などない「悪い人」がいいのです。
でも、もう別のグループが発展しつつあるのですから、あえて私が改めて関わることはないのですが、なぜかまたなんとはなしの雰囲気の中で、何かを引き受けてしまったような気がします。

ちなみに、今日の午前中は、これまた初対面の女性からの相談でした。
これがまたかなり大きな話です。
注意しないと引き込まれるなと思っていたのですが、引き込まれそうです。
困ったものです。

今日はこれからもう一つミーティングがあります。
これは参加全員が男性です。
なんだかほっとします。
でも今日はいささか疲れました。
そういえば、明日もまた女性3人組とのミーティングです。
余力を残しておかねばいけません。

先ほど気づいたら、携帯電話のメッセージが残っていました。
これまた多分かなり大変な相談の予感がします。
さてさてどうしたものか。

どこか遠くに行きたい気もします。
さてさて。

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2017/04/11

■節子への挽歌3504:読書のスピードが上がりました

節子
友人がなぜか暉峻淑子さんに会わないかと連絡してきてくれました。
会社を辞めてから、社会の表舞台を歩いている人と自分から直接会いに行くことは基本的にないのですが、暉峻さんの発言には以前から共感していた人であるばかりではなく、引き合わせを提案してきた人の重いにも関心があるので、引き合わせてもらおうかと思い出しました。
暉峻淑子さんは、たしかもう90歳くらいではないかと思いますが、お元気で活動されているそうです。

もし会うとしたら、彼女の本を読み直しておくのが礼儀でしょう。
そこでわが家の書庫を探してみました。
最近はお金がないので本はあまり買えませんが、節子が元気だった頃までは、気になった本は買い込んでいましたから、まあそれなりに蔵書はあるのです。
家を建てたときに、狭いながらも書庫もつくりました。

ところが整理が悪いのでいつもお目当ての本が見つかりません。
今回も、やっと1冊、岩波新書が見つかっただけでした。
それに、一番読みたかった本は結局見つかりませんでした。
実は湯河原に仕事場を作りかけたことがあり、そこにも資料と書籍は送っているのです。
もしかしたらそちらのほうにあるのかもしれません。
まあこういうことが最近よくあります。
困ったものです。

ところで、最近、まぶたの手術をしたので、読書のスピードが上がりました。
形成外科の高久医師に感謝しなければいけません。
みなさん、加齢に伴ってまぶたが緩んできたら、ぜひ、高久医師に手術してもらいましょう。
ちょっとわくわくする手術を受けられますよ。
そういえば、高久医師ともフェイスブック友達になり、やり取りも始まりました。

えーと、今日は書庫の話を書くつもりでしたが、また話がそれてしまいました。
ようやく私らしさが戻ってきたのかもしれません。
挽歌の番号がまたかなりずれてしまっていますので、がんばらないといけませんが。
さて今日は、これから暉峻さんの最新作「対話する社会へ」を読むことにします。
今日、2冊目の本です。

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■節子への挽歌3503:老いの暮らしの喪失

節子
また寒さが戻ってきてしまいました。
寒いと心身が萎縮してしまいます。
困ったものです。

相変わらずいろんな相談が来ます。
なぜこうなってしまっているのでしょうか。
心やすまることがありません。
私の生き方のどこかに、きっと間違いがあるのでしょう。
しかし、いまさら変えるわけにもいきません。

佐久間さんが、「人生の修め方」という新著を送ってきてくれました。
佐久間さんが日経電子版のコラムに連載していたものを本にしたものです。
以前、この挽歌でも紹介しましたが、この挽歌のことも取り上げられています。
改めて読んでみましたが、いささか気恥ずかしいものがあります。
文章は書くのはいいのですが、自分が書いたものを読むのはあまり楽しいものではありませんね。

その本の紹介をホームページに載せようと思い、先ほど、紹介文を書きました。
書きながらいろんなことを考えていたら、内容紹介のない文章になってしまいました。
というのも、老いの暮らしを楽しみにしていた15年前を思い出してしまったのです。
この挽歌でも何回も書きましたが、生き方を老いの暮らしのステージに変えようと思った矢先に節子の病気が発見されました。
そして、私たちには「老いの暮らし」がなくなったのです。
生きる目的のひとつがもし「老いの暮らし」であるとしたら、私たちはそれを失ったわけです。
花を咲かせずに枯れてしまったようなものかもしれません。
青春こそが花の時期であれば、老いは果実の時期かもしれません。
いずれにしろ、老いは決して、枯れることではありません。
佐久間さんの本を読んでいて、改めてそう思いました。

それにしても今日は寒い。
出かけるのをやめようと思います。
肺炎になってはみんなに迷惑をかけますから。

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2017/04/09

■「みんカフエ・新潟」のご案内

湯島の「みんなのゆるーいカフェ」(略称みんカフェ)は、最近、ちょっと開催していないのですが、新潟や千葉などでは継続して開催されています。
私は、なかなか参加できないのですが、4月の「みんカフエ・新潟」に1年ぶりに参加させてもらう予定です。
案内は、新潟のみんカフェネットワークでは流れていますが、そのネットワークに参加していない人で、もし参加してみようという方がいたらと思い、ここでもご案内させてもらうことにしました。

話し合いの場は、どうしても回数を重ねるとマンネリ化する恐れがありますし、メンバーも固定化していく恐れもあります。
「みんカフエ・新潟」も、1年を経過して、いろいろと問題点も見えてきたようです。
そうしたことを踏まえて、幹事役の金田さんは、だれでもがホッとできるような、みんなの「居場所」として、もっといろんな人に参加してもらうようにするにはどうしたらいいか、に関しても、今回は話し合いたいとお考えのようです。
その意味でも、新しいメンバーを歓迎したいと言っています。
とても気楽な会ですので、新潟在住でお時間が許す方がいたら、ぜひご参加ください。

私も会場でみなさんにお会いできるのを楽しみにしています。

〇日時:平成29年4月20日(木) 午後1時30分~3時30分
〇場所:新潟市中央公民館(中央区礎町通3ノ町)
https://www.city.niigata.lg.jp/chuo/shisetsu/manabi/kouminkan/chuo.html
〇会費:500円
〇問合せ先:金田さん(025-224-2088)
*私の連絡くださってもいいです。

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■カフェサロン「二宮金次郎(尊徳)の実像から見えてくるもの」報告

昨日の二宮尊徳サロンは、実に刺激的でした。
15人が参加しました。

露木さんの思いは、レジメにこう書かれています。

戦前に置いて二宮金次郎は、刻苦勉励の金次郎少年のイメージのみを国家によって抽出された理想の国民増に祭り上げられた。 再び見直されつつある二宮金次郎に再び同じ役割を担わせてはならない。 いまこそ必要なことは二宮金次郎の実像を知り現代に活かせる手がかりを探ること。

そして、露木さんは、二宮金次郎の遺書の言葉から、二宮金次郎が後世に残したかったことを読み解いていきます。
この部分は、「謎解き」のような面白さがあり、露木さんの発見に思い切りひき込まれてしまいました。
露木さんは、荻生徂徠や丸山眞男の論考などを紹介しながら、「人道は作為である」という、尊徳の思想の根本を紹介し、単なる道徳家ではなく、社会を変革していく実践者だった二宮金次郎の姿を浮き彫りにしていきます。
そして、金次郎が後世に残したかったことは、「俺は厳しい時代にいろいろとやってきた、そのやってきたことをきちんと学んでほしい、大切なことはやったかどうかだ」という実践の勧めではないか、と言います。
そのためには、尊徳の弟子が書いた書物ではなく、金次郎が残した分度や仕法のメモを、きちんと学ぶことが大切だ。
そして、地方創生が叫ばれているいまこそ、二宮金次郎の実像から学び、それを応用していくべきではないか、と露木さんは呼びかけました。

露木さんの呼びかけに説得力があるのは、露木さん自身が開成町で町長として、それを実行してきたことがあるからです。
露木さんは、こう呼びかけました。
まずは市町村レベルで社会を変えていく。
それが各地に伝播して国が変わっていく。
草の根からの社会革命です。

二宮金次郎は、農村のリーダーたちにそうした実践を強く求め、そのために分度や仕法の考え方やノウハウを提供してきたわけです。
しかし、そうした報徳思想は広がったにもかかわらず、残念ながら実際に社会を変えるとこにまではなかなかたどりつきませんでした。
その理由は、社会の支配層が、それを妨げたからです。
こうした状況は、いまの日本社会にも当てはまるような気がします。
そうした状況を打破していくためにも、露木さんは改めて二宮金次郎から学べと呼びかけているわけです。

ささやかにこれまで各地の「まちそだて活動」にも関わらせてもらってきた私も、そう思います。
社会は現場から変わっていきます。
そして各地ではいつもさまざまな変革活動が取り組まれている。
しかし、それがどうもつながっていかず、また持続も難しい。
そこをどうしていくかが、課題かもしれません。

露木さんは、他にもたくさんの示唆を与えてくれました。
私が興味を持ったのは、沖縄にある二宮金次郎像の話です。
これはまた別の意味で、これからの日本を考えていく上での大きなヒントを与えてくれるように思います。
5月27日に、開成町でわらび座によるミュージカル「KINJIRO!本当は面白い二宮金次郎」の公演の紹介もありました。
サイトをご紹介します。
また開成町に最近開所した、あしがり郷瀬戸屋敷「みんなの我が家」でサロンをやったらというお誘いもありました。
湯島サロンも、時にはどこかに出かけてのサロンも面白いかもしれません。

話し合いで出た話題も紹介したいのですが、長くなってしまいましたので、それはまたこのシリーズのサロンで深めていければと思います。

道徳家としての二宮金次郎ではない、社会革命実践者としての二宮金次郎に触れて、それぞれいろいろと気づきのあったサロンになりました。
露木さん
ありがとうございました。


Tuyuki20160408


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2017/04/08

■節子への挽歌3502:人生を楽しくする方法

節子
今年もまた桜を見ないで終わりそうです。
先日、湯島のオフィスに行く途中、上野公園を通っていこうと思っていたのですが、出る直前に電話があって、バタバタしているうちに、時間の余裕がなくなってしまいました。
今日も午後から湯島なので、上野公園を通っていこうと考えていましたが、あいにくの雨です。
それで今日も諦めました。
節子がいたら、今頃はいろんなところの花見に付き合わされていたことでしょうが、一人では花見に行く気になれません。
たぶん他の誰かが誘ってもですが。

ところで最近、湯島でパソコンの電源コードがなくなってしまいました。
狭いオフィスなので、なくなりようがないのですが、見当たらないのです。
そこで、フェイスブックに次の記事を書きこみました。

また信じられないことが起こりました。
たいしたことではないのですが、はい。
今朝、いささか肉体的重労働(高齢者にとっては、ですが)をしてから湯島のオフィスに来て、さてメールをチェックしようと思ったら、パソコンの電源コードが見つからないのです。
とても小さなオフィスなので、そんなはずはないのですが、なぜか存在しない!
そういえば、1か月前にも手帳がなくなり、1週間ほどして忽然と現れたこともあります。
やはりどこかに亜空間に通ずる穴があるのかもしれません。
また信じられないことが起こりました。
たいしたことではないのですが、はい。
今朝、いささか肉体的重労働(高齢者にとっては、ですが)をしてから湯島のオフィスに来て、さてメールをチェックしようと思ったら、パソコンの電源コードが見つからないのです。
来客の来る前にと思って、探したのですが、見つかりません。
とても小さなオフィスなので、そんなはずはないのですが、なぜか存在しない!
そういえば、1か月前にも手帳がなくなり、1週間ほどして忽然と現れたこともあります。
やはりどこかに亜空間に通ずる穴があるのかもしれません。
(中略)
それにしても不思議です。
あんなに大きなものがなくなるはずがない。
まあ、しかし、この1週間、湯島には来られなかったのです。
そういえば、デスクの上の芝エビもいなくなっています。
やはり、亜空間への通路があいたのかなあ。

以上のような記事をフェイスブックに書いたら、たくさんの人からコメントなどがありました。
多くの人に読んでほしいと思って書く記事はなかなか読んでもらえないのですが、こういう記事は実に反応がいい。
いささか残念ですが、仕方がありません。

コメントによれば、どうも亜空間への穴は、私のまわりだけではなく、いろんな人のまわりにもあるようです。
もっとも、それは認知症のせいではないかという人もいますが。

残念ながら今もまだ電源コードはもどってきません。
今日もオフィスに行きますが、電源コードが戻っているかもしれません。
そんなわけで、最近は、湯島に行くのが楽しみです。
花見をしなくても、人生を楽しくすることはできそうです。

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2017/04/07

■節子への挽歌3501:人の縁

節子
昨日、眼瞼下垂手術の経過診察にいってきました。
医師は形成外科の高久医師です。
まあ診察といっても、2~3分雑談してくるだけです。
今回も異常なしで、一応、これで終了です。
加齢とともに、またまぶたが緩んでくるので、そうしたらまた来てくださいと言われました。
しかし、これで最後となると何となくさびしい気がして、ちょっとさびしいですね、といったら、高久さんはいつでも遊びに来てくださいとのこと。
しかし、病院に遊びに行くわけにもいかないでしょう。
それで、フェイスブックをやっていますかと訊いたら、やっているというのです。
それで友だちリクエストをしてしまいました。

私は、一度でも出会った人にはいつも別れがたい親しみを感じます。
一期一会という言葉がありますが、茶道の心得としてはいいとしても、日常生活においては、私はその言葉にはあまり共感が持てません。
人との出会いは、繰り返されるというのが私の考えなのです。
一度会った人には、必ずまた会えるというのが、私の考えなのです。
ですから一度でも会った人とは、たとえいきずりの人であっても、ずっとつながっていたいと思うのです。
この感覚は、たぶん節子にもありました。

そんなわけで、たとえお医者さんであろうと、病気が治ったら縁が切れるという生き方は、私にはどうもすっきりしないのです。
しかし、医師と患者の関係から友人関係になるのも大変で、そんなことをやっていたら医師は身が持たないでしょう。
しかし、友人になったからと言って、別に頻繁に会う必要もないのです。
いつか突然思い出して、連絡を取ってみてもいいでしょう。
もしかしたら、いつか何かお役にたてることもあるかもしれません。
人と会うということは、その人に役立つことを考えるということだと私は思っています。
実際に、私のところに、そういう形で数十年ぶりに連絡してきてくれる友人もいます。
それに、たとえ現世で会えなくとも、来世も来来世もありますし。
高久さんにも、いつか手術のお礼ができるかもしれません。

こうした私の感覚は、いささか変わっているのかもしれません。
名刺交換したのに、後でメールしても返事が来ない人もいます。
湯島に来たのに、その後、音沙汰なくなる人もいます。
なんだかちょっとさびしい気もしますが、きっとみんな忙しいのでしょう。
人は支え合って、生きていくことで豊かな人生になっていきます。
もっと、人の縁を大切にしたらいいのにと思いますが、娘たちを見ていても、どうも私とは違います。
でも、節子は、こうした私の生き方を理解してくれていました。
それに節子も、旅先などでよく友人をつくっていました。
彼岸で、いろんな人に再会していることでしょう。
節子の人生も、豊かだったに違いありません。

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2017/04/05

■節子への挽歌3500:庭の整理という大仕事

節子
昨日から庭の整理を始めました。
なにしろずっと放置していたので、大変です。
一番の大仕事は、80センチほどある大きな鉢に植えていたヒバの木を抜く作業でした。
節子がいた頃は、きちんと手入れもし、とてもいい形になっていたのですが、あれから10年、さすがに手入れ不足に愛想をつかしたのか、昨夏、枯れてしまったのです。
根が張っているので、抜くだけで30分近くかかりました。
それにしても大きな鉢です。
こんな鉢をよくまあ買ってきたものです。
その後も、河津桜用に私も同じくらいの鉢を買ってきましたが、持ち運べるようにプラスティック製にしました。
しかし、節子の買っていたのは陶器なので、注意しないと壊れます。
娘と2人がかりでなんとか作業完了です。
それだけで疲れてしまいました。

次は植木鉢の整理ですが、これまた何が何やらよくわかりません。
野草かと思って抜いたらそうではなく、名前を書いた説明が出てきました。
不注意に抜いてはいけません。
水やりはそれなりにやっているのですが、肥料をやらないとだめだと娘に指摘されて、肥料もやりました。
今年は咲かなかった2本の桜は、来年は咲くでしょう。
ちなみに地植えしていたさくらんぼと桜はどちらもかれてしまいました。
今年の冬は雨が少なかったのでしょうか。

今朝は、朝から家の庭に広がりだしていなにわいばらとシャボンのにおいのする木花(名前を忘れてしまいました)を思い切り刈り込みました。
その木は、ツルを切ろうとすると、白い樹液を出します。
高い位置のツルを切ると、ちょうど樹液が顔にまでかかってきます。
攻撃か懇願かわかりませんが、おかげで手が樹液で真っ黒になりました。洗っても落ちません。
こういう作業をするときには必ず手袋をするように、いつも節子から言われていましたが、そういうのが私は苦手なのです。

おかげで、黒くなっただけでなく、イバラの棘で血だらけになりました。
まあそれくらいの痛みを感じないと、イバラやツルとバランスしません。

昨年末に、畑の花壇に植えこんで置く予定だったチューリップの球根は、芽が出始めてきました。
実は今年は、一度も畑に行っていないのです。
畑を辞めようかと思い出しているからです。
しかし、芽が出てきたチューリップの球根を放置しておくわけにはいきません。
さてさて人生は、やることがたくさんあり過ぎです。
いつになったら、のんびりとできるのでしょうか。
彼岸に行くまでは、無理なのかもしれません。
人にはどうも、それぞれ定めがあるようです。
それには素直に従わなければいけません。

今日は湯島に行く道筋を変えて、上野公園の桜の下を歩いてみようかと思います。
こういう気になったのは、10年ぶりなのです。

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2017/04/04

■世界の対立軸が変わってきた気がします〔3〕

沖縄の辺野古移設の現地の活動は、首都圏に手はなかなか見えてきません。
マスコミ報道も関心がないのか、あまり取り上げません。
私自身、現地にも行っていないので実情を知っているわけではありません。
しかし、沖縄での最近の動きは、どこかこれまでと違うものが伝わってきます。

沖縄に新たな動きが出たのは、民主党に政権が移り、鳩山政権が「少なくとも県外移設」と言い出した時からです。
残念ながら鳩山政権は挫折しましたが、鳩山さんの残したものはとても大きいと思っています。
鳩山さんは、大きな流れに抗って棹を指すこともできることを自らの行動で示してくれました。

辺野古問題が変化を見せたのは、たぶん2014年11の沖縄県知事選だったと思います。
選挙の争点は辺野古移設問題。辺野古移設を承認した現職の仲井眞知事とそれに反対する翁長さんの争いになりました。
翁長さんはこう訴えました。
「豊かな自然環境はいまを生きる私たちだけのものではない。イデオロギーよりもアイデンティティに基づくオール沖縄として、子や孫に禍板を残すことのない責任ある行動がいま、強く求められている。」
イデオロギーよりもアイデンティティに基づくオール沖縄。

それまでの「保守対革新」とは違う次元の対立軸が浮かんできました。
野党連合とは違って、そこにあるのは「社会の構図の変化」です。
その後の選挙によって、現在の沖縄県内の衆議院小選挙区4議席、参議院選挙区2議席の計6議席はオール沖縄の議員が独占しています。
これまでの政党はもはや政治の基本組織ではなくなっているわけです。

最近、東京都の知事選でも、同じような対立構造が少しだけ見えています。
私はそこに時代の大きな動きを感じます。
数年前にこのブログで書いた記憶がありますが、政党政治の時代は終わりつつあります。
なぜなら社会の構図が変わってきているからです。

しかし、だからこそこれまでの社会を統治していた体制による反撃もまた激しくなっています。
それが様々なところで混乱を起こしているように思います。
アメリカでも、ヨーロッパでも、そして韓国でも。

社会の構図の基本軸が、組織対組織ではなく、組織対個人に変化してきているのです。
いささか不正確なので、もう少し説明していければと思います。

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2017/04/03

■節子への挽歌3499:不意打ちに惨敗

節子
今日は朝早く家を出て、川口市にあるコミーに行きました。
社長の小宮山さんは節子もよく知っている人ですが、小宮山さんから一度、朝礼に出てみないかといわれたのです。
この会社はとても面白い会社で、業績もいいですし、そもそも会社の文化に共鳴できます。
40周年記念に「コミーは物語を創る会社です」という冊子を制作し、関係者に配布しましたが、それがまた面白い。
小宮山さんは、節子が元気だったころの湯島のサロンにもよく来てくれていました。
大企業の社長(モチベーション来てくれたことがありますが)とは全く違って、節子はとても親しみを感じていました。

一応、会社に行くので、背広を着ていきましたが、とてもカジュアルな会社なので、背広姿はちょっと浮いてしまいました。
朝礼のことはずっと聞いていたのですが、予想より長く、30分もやっていました。
しかも、その上、昼礼というのまであって、そこでは毎回、社員が順番に10分ほど話すのだそうです。
月曜日は社長が話す日だというので、小宮山さんがどんな話をするのだろうかと興味を持って参加しました。
会場の会議室に入ったら、なぜか小宮山さんも含めて、みんな学校の教室のように前を向いて座っているのです。
そして、会場に入った途端に、座っていた小宮山さんから、私に10分ほど話してよ、といわれました。
突然のことで、何を話していいかわかりません。
しかし、40人ほどの社員たちが私を見つめています。
さてさて。

この会社では、私は「しゅうさん」と呼ばれています。
「おさむ」という名前で呼ばれることには慣れていますが、しゅうさんというのは初めてです。その話をすればよかったのですが、その話は朝礼で最初に話してしまいましたので、話せません。
まさに、万事休す。
しかし、休んでいるわけにはいきません。
なにしろ、時々社内で話題になる「しゅうさん」に、社員のみなさんは興味津々でしょう。
それで、言い訳はせずにすぐ話し出したのですが、自分でも何を話したかわからないような支離滅裂な話になったと思います。
困ったものです。

人生、油断してはいけません。
もともと私は不用意で油断しがちなタイプですが、節子がいなくなってから、ますますそうなっているようです。
それで、少し人生が曲がってしまっています。

しかし、その昼礼での不意打ちでの惨敗を除けば、いろんな社員とも話せて面白い1日になりました。

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■コムケアサロン「生活の視点からの看取りを考える」のご案内

「看取りシリーズ」サロンの3回目は、「生活の視点からの看取りを考える」というテーマで、社会福祉士の小畑万里さんに話題提供してもらうことにしました。
「看取り」という言葉から、おそらく「自分とはあまり関係ないな」と思う人も多いと思いますが、「看取り」という視点から生活を考えていくといろんな話題が出てきます。
また、言うまでもないことですが、看取り(看取られ)は誰にとっても無縁のことではありません。
若い人も含めて、さまざまな人に参加していただきたいと思っています。

小畑万里さんは、NPO法人ハーモニー虹代表として実践活動に取り組みながら、大学でも実践教育に携わり、いのちと死に向き合う支援をテーマにした「地域・施設で死を看取る時」(明石書店)という著書も出されています。

今回は、そうした実践と教育を踏まえて、生活の中での看取りを効果的に活かしていくために、看取りを支える医療(訪問診療、訪問看護)との連携、家族の役割・立ち位置などを問題提供してくださる予定ですが、参加者のみなさんの関心に応じて、そこから、住まい方や家族のあり方、さらにはコミュニティのあり方などにも話題が広がるかもしれません。

ぜひ多くの人たちに参加していただきたいと思っています。
まわりの人たちにもご案内いただければうれしいです。
きっとたくさんの気づきをもらえるサロンになると思います。
高齢者に限らず、若い世代の参加も大歓迎です。

●日時:2017年4月29日(土曜日)午後1時半~4時
●場所:湯島コムケアセンター
http://cws.c.ooco.jp/cccentermap.pdf
●テーマ:「生活の視点からの看取りを考える」
●話題提供者:小畑万里さん(NPO法人ハーモニー虹代表)
●参加費:500円
○参加申込み:comcare@nifty.com

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2017/04/02

■節子への挽歌3498:手賀沼公園がにぎわっていました

節子
近くの手賀沼公園の近くを通ったのですが、春になったせいか、家族ずれでにぎわっていました。
近くに公園があるのにあまり行くことはありません。

節子が発病してから、よく2人で通った公園ですが、当時に比べるととてもきれいになっています。
この公園に、毎朝、ふたりで散歩に来ていました。
この公園のベンチには、だからいろんな思い出があるのです。
ですから、そう簡単にはこの公園には足が向かないのです。

この公園の近くに転居してきてから、間もなく節子の闘病生活が始まりました。
ですから節子は、この公園を楽しむ間もなかったはずです。
落ちついたらボートに乗ろうと話していましたが、ついにボートに乗る機会はありませんでした。
池に浮かんでいるボートを見るたびに、それを思い出します。
そんなこともあって、この公園には一人で行くことはありません。
思い出があることは、いいことばかりではないのです。

湖畔の桜はほころびだしたばかりですが、菜の花畑は満開です。
自然が生きていることがよくわかります。
私も、今年こそは、その自然とともに生きることを取り戻したいと思います。

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2017/04/01

■節子への挽歌3497:桜の季節がきました

節子
4月になってしまいました。
花見とは無縁な、10回目の春です。
誘われて花見に行ったことも、わずかですがありますが、まだ花見は辛いことの一つです。
節子と最後に見た桜は10年前のあけぼの公園の日本庭園の駐車場の桜でした。
家族みんなで行ったのですが、なぜかその時の情景が鮮明に残っています。
なぜそれが駐車場の桜だったのか、わかりませんが、節子には、最後の桜だとわかっていたのでしょう。
肝心の、あけぼの公園の桜の映像が浮かんできません。
まあ、人の記憶とは、そんなものでしょう。
そして、そうした記憶とは全く関係ないように、春はやってきます。

手賀沼の湖畔を通る道沿いの桜がほころびだしています。
節子がいなくなっても、必ず見ることになる、駅に向かう道路の側にある老木の桜も、咲きだしました。
そういえば、花見はしていませんが、この桜だけは必ず見ています。
そして、あまり意識はしていませんが、たぶん私も元気をもらっています。

花のことで、先日、友人からメールが来たのを思い出しました。
なぜか節子のことが書かれていました。

節子さんには2度お会いしています。 一度目は大津で(覚えてないでしょ)、二度目は湯島のサロンで。 素晴らしい雰囲気を身にまとった方ですね。 生き方や心根の美しさがそのままに現れていらしたのだと感じています。 花を皆さんにどうぞと、家の外にそっと置いておかれた話、印象に残って良く覚えています。 修君の全てを受け入れながら、優しくしかも自分を見失うことなく。 ほんとに早すぎるお別れでした。 でも、「まだ来なくていいですよ。まだ道は半ばで、したいことが残っているでしょ。いつだって会えるのですから。のんびりと待っています」 とおっしゃっていることでしょう。 ちょっと立ち入り過ぎてしまいました。ごめんなさい。

過剰な褒め言葉が並びすぎで、人の記憶とは変わるものだなという気がします。
しかし、褒め言葉は素直に受け入れましょう。
ただ、花の話は私にはあまり記憶がありません。
私が道半ばだというのも、ピンときません。
そんなたいそうな生き方はしていないからです。
記憶だけではなく、いまここにいる人の理解もまた、人によって違うのだなと思います。
でもまあ、こう褒められた以上は、今年も少し、私の思いに取り組もうと思います。

冷たい雨の朝から、今年の春は始まりました。

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