■節子への挽歌3506:手賀沼沿いの桜
節子
最近出版された一条さんの「人生の修め方」という本に、この挽歌のことが紹介されていて、そこに一条さんは毎日、般若心経をあげた後に、挽歌を書いているのが3000回もつづいたのはすごいとかいてくれました。
ところがどうも最近は、挽歌を書くのも途絶えがちで、しかも毎朝の般若心経も簡略型になることが多くなってしまっています。
般若心経の簡略型とは、般若心経の中でも、そのエッセンスが凝縮されているという最後の16文字、つまり「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」です。
お灯明とお線香だけは、在宅の時にはかかしたことはないのですが。
以前は、パソコンを開いて、「節子」と書きだすと、自然と書くことが浮かんできたのですが、最近は浮かんでこなくなってきてしまいました。
節子も今や、遠い人になったのかなあと思わないこともないのですが、昨夜はめずらしく、夢に節子が出てきました。
短い時間でしたが、会話もした気がします。
「あいかわらず・・・ね」と言われた記憶が残ったのですが、肝心の「・・・」が起きた途端におもいだせなくなりました。
なにが相変わらずなのでしょうか。
まあそれはともかく、やはり挽歌は朝に書くようにしようと思い、今朝は起きてすぐにパソコンに向かいました。
しかしパソコンを開いたら、またいろんなメッセージが届いていました。
それに対応しだすと、またあっという間に時間がたってしまいますので(なぜかパソコンに向かっているときの時間の進み方は速いのです)、簡単に返事できるもの以外は後回しにして、この挽歌を書きだしました。
でも、「節子」と書いたのに、書くことが浮かんでこない。
困ったものです。
仕方がないので、今朝届いていたメッセージのことから。
フェイスブックに、昨年、なぜかスペインの人からメッセージが届きました。
ていねいな日本語で書かれていましたが、差出人は覚えのある名前です。
節子も知っているラモちゃんで、娘の友だちのパートナーでした。
日本に来た時に、夫婦でわが家に立ち寄ってくれたのです。
そんなラモちゃんが、どうして私のフェイスブックにたどり着いたのかわかりませんが、フェイスブックのトップページの写真を変更したのを見て、「良いネットワーク」を押してきたのです。
それで「また日本に来たら我孫子にも立ち寄ってください」と書いたら、「来年行くかもしれない」と返事が今朝届いたのです。
フェイスブックはこういう思ってもいなかったことが起こるので面白いです。
それでラモちゃんが「いいね」といった写真を節子にも見てもらいましょう。
ちょっと散り始めた手賀沼沿いの桜です。
節子が元気だったころに比べるとだいぶ大きくなりました。
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