■節子への挽歌3512:自然の悲しみが伝わってくるような朝です
昨夜から荒れ模様になっていて、今朝も雨風が吹き荒れています。
真夜中に目が覚めたのですが、枕元のデジタル時計が消えていました。
停電していたのです。
後で確認したら3時半で止まっていました。
いまは復旧していますが、外の雨風は激しさを増している感じです。
最近の天気は、実に移り気で、それが疲労の原因かもしれません。
自然もきっとストレスが多くて、時に発散したいのでしょう。
ちょっと親しみを感じます。
荒れたいときは適度に荒れたほうがいい。
そうしないと人生の平安は持続は難しく、どこかで暴発しかねません。
昨今の不幸な事件の報道に触れるたびに、
私は加害者の人生に思いが行ってしまいます。
もちろん加害者の行為は許されることではありませんが、
同時に、加害者を追い込んだであろう状況も気になります。
それはきっと私とも無縁ではないと思うからです。
そういう思いを持って、マスコミ関係者は報道してもらいたいと思います。
そうしないと、社会はさらにひどい荒れ模様になっていきかねません。
少なくとも、私自身はそういう思いで生きていこうと思います。
これもまた、節子との別れから学んだことです。
寂しさの奈落に落とされると、人は自らが見えなくなります。
私がいま、なんとか生きつづけられているのは、ある意味では奇跡としか言えません。
雨風の音を聞いていたら、そんな気がしてきました。
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