■節子への挽歌3509:音のない朝
節子
静かな朝です。
なぜかいつもと違って、鳥たちのさえずりがない。
レーチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出すような朝です。
どうしたのでしょうか。
今朝も5時に目覚めました。
少し前までは、目覚めても寒いのでベッドの中からなかなか出られなかったのですが、昨日からはすぐにベッドを離れられるようになりました。
寝室の隣が私の仕事場で、パソコンがあります。
起きるとすぐにパソコンの電源を入れ、メールなどをチェックするのが私の毎日の始まりです。
節子は、それを嫌っていましたが。
それにしても、今朝は音がない。
まだ早いからでしょうか。
でもまもなく5時半ですから、鳥たちも起きているはずです。
下の道路の自動車の音もない。
音にない世界は、とても奇妙で、しかし何か新鮮です。
そこに「存在」するものが、ある時、突然なくなってしまう。
そういう状況に置かれると、意識が一変します。
この不思議な静寂。
心が洗われるような気持ちがします。
陽もさしだしてきました。
隣家の隙間から垣間見える手賀沼の湖面が輝きだしました。
と、遠くから鳩の鳴き声が聞こえてきました。
でもまだいつものにぎやかな鳥の声はしません。
外に出たら、鳥たちのさえずりが聞こえてくるのかもしれません。
そういえば、今日は、寝室から仕事場に直行し、パソコンを始めてしまったのです。
下に行って、シャッターを開けて外に出たら、世界はもう目覚めているかもしれません。
節子がいなくなってから、世界から音が消えたことがあります。
音のない世界は、不思議です。
自分の中に入り込んでいる自分に気づくこともある。
久しぶりに、ありがとうございました。の心境を体験した気分です。
でもどうして鳥が鳴いていないのでしょうか。
外に出てみれば、違う世界があるのかもしれません。
太陽が上がってきました。
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