■小さき人々の抵抗の声
先週、テレビの「こころの時代」で、ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんが被曝後の福島の人たちを訪ねて耳を傾ける「“小さき人々”の声を求めて」を見ました。
それに触発されて、ソ連崩壊後のロシアの“小さき人々”を聞き書きした「セカンドハンドの時代」を読みました。
なんとも読みにくかったので、やはり「チェルノブイリの祈り」を読むことにしました。
彼女はベラルーシの作家ですが、彼女が「小さき人々」と呼ぶ民の声を発掘し、それを自分の耳に聞こえるままに記録するという独自の文学を築いた人です。
チェルノブイリ原発事故の後も被災者の声を聞き歩いた彼女にとっては、福島取材の機会をずっと待っていたのだそうです。
とてもていねいな取材だったことを感じました。
小さき人々の声は、多くの場合、とても穏やかで温かさがあります。
しかし、そこには鋭い体制への批判が含意されています。
デモで声高に唱えられる「シュプレヒコール」とは全く違って、聴く人の心に入り込んでくる、真実があります。
ですからその時はもちろんですが、いつまでも聴く人の心に残ります。
もっとも聴く人の心のありかたに大きく影響されるでしょうが。
アレクシエービッチさんは、テレビの中で、繰り返し、私の国にも日本にも「抵抗の文化」がないと語っていました。
静かに語ることこそ、まさに抵抗の文化かもしれませんが、それを踏みにじる政府のもとでは、残念ながら聴く人がいないおそれがあります。
ですから、アレクシエービッチさんの活動は大きな意味をもっているのだろうと思います。
昨今のマスコミは、小さき人々よりも大きな人たちの声を紹介します。
小さき人々の声を聞きだすことは、難しいでしょうし、なによりも聴く人の知性を露わにします。それに比べて、自分から話したがっている「大きな人たち」の声を聞くのは楽ですし、なによりも誰にでもできる上に、危険は伴いません。
辺野古の工事は始まり、玄海原発の再稼働も決まりました。
小さき人々の声を、少なくとも私はしっかりと耳を傾けて聴こうと思います。
そこから「抵抗」は始まるでしょうから。
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