■節子への挽歌3503:老いの暮らしの喪失
節子
また寒さが戻ってきてしまいました。
寒いと心身が萎縮してしまいます。
困ったものです。
相変わらずいろんな相談が来ます。
なぜこうなってしまっているのでしょうか。
心やすまることがありません。
私の生き方のどこかに、きっと間違いがあるのでしょう。
しかし、いまさら変えるわけにもいきません。
佐久間さんが、「人生の修め方」という新著を送ってきてくれました。
佐久間さんが日経電子版のコラムに連載していたものを本にしたものです。
以前、この挽歌でも紹介しましたが、この挽歌のことも取り上げられています。
改めて読んでみましたが、いささか気恥ずかしいものがあります。
文章は書くのはいいのですが、自分が書いたものを読むのはあまり楽しいものではありませんね。
その本の紹介をホームページに載せようと思い、先ほど、紹介文を書きました。
書きながらいろんなことを考えていたら、内容紹介のない文章になってしまいました。
というのも、老いの暮らしを楽しみにしていた15年前を思い出してしまったのです。
この挽歌でも何回も書きましたが、生き方を老いの暮らしのステージに変えようと思った矢先に節子の病気が発見されました。
そして、私たちには「老いの暮らし」がなくなったのです。
生きる目的のひとつがもし「老いの暮らし」であるとしたら、私たちはそれを失ったわけです。
花を咲かせずに枯れてしまったようなものかもしれません。
青春こそが花の時期であれば、老いは果実の時期かもしれません。
いずれにしろ、老いは決して、枯れることではありません。
佐久間さんの本を読んでいて、改めてそう思いました。
それにしても今日は寒い。
出かけるのをやめようと思います。
肺炎になってはみんなに迷惑をかけますから。
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