■節子への挽歌3498:手賀沼公園がにぎわっていました
節子
近くの手賀沼公園の近くを通ったのですが、春になったせいか、家族ずれでにぎわっていました。
近くに公園があるのにあまり行くことはありません。
節子が発病してから、よく2人で通った公園ですが、当時に比べるととてもきれいになっています。
この公園に、毎朝、ふたりで散歩に来ていました。
この公園のベンチには、だからいろんな思い出があるのです。
ですから、そう簡単にはこの公園には足が向かないのです。
この公園の近くに転居してきてから、間もなく節子の闘病生活が始まりました。
ですから節子は、この公園を楽しむ間もなかったはずです。
落ちついたらボートに乗ろうと話していましたが、ついにボートに乗る機会はありませんでした。
池に浮かんでいるボートを見るたびに、それを思い出します。
そんなこともあって、この公園には一人で行くことはありません。
思い出があることは、いいことばかりではないのです。
湖畔の桜はほころびだしたばかりですが、菜の花畑は満開です。
自然が生きていることがよくわかります。
私も、今年こそは、その自然とともに生きることを取り戻したいと思います。
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