■カフェサロン「沖縄が失ってしまったもの、失いつつあるもの」報告
悪天候にもかかわらず、今回も9人の参加者がありました。
途中で雨がひどくなってきたため、わざわざ長靴を買って、履き替えてきた人もいました。
そんなにしてまでも人を呼び込む沖縄のオバァの力はさすがです。
今回の話題提供者は、20冊を超える沖縄関係本の出版に関わってきた平井かおるさん。
平井さんは、まず、沖縄の流行歌「カンポーぬ喰ぇぬくさー」を聴かせてくれました。
70年代に流行った沖縄戦をうたった歌だそうです。
ユーチューブで聴けますので、みなさんもどうぞ。歌詞も出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=ixXwo7zp1hk
「あなたもわたしも戦争での艦砲の食べ残しだ」という歌詞が、「少しとぼけたようで軽快でもある旋律」に乗せてまったりと歌われています。
平井さんは、この歌に、沖縄の人たちの、
「持たなければ生きていかれなかった底力と言葉にはとてもできない切なさ」
を感じ、「これぞ沖縄だ」と思ったそうです。
つづいて、平井さんが選んだ6つの沖縄オバァのクガニコトバ(金言)の紹介。
それを通して、沖縄の立ち位置や歴史、変化(失われつつあるもの)を、時折、ウチナーグチ(沖縄言葉)を入れながら、話してくれました。
参加者それぞれが、沖縄が失ったもの、失いつつあるものを、そして、私たちが失いつつあるものに考えをめぐらせたのではないかと思います。
話し合いでの話題はさまざまでした。
あの世は家の軒先ほど近いところにあって、生活につながっている話。
先祖崇拝のトートーメとウタキの話。
ユタとノロの話。
もあい(もやい)の話。
そうしたことが少しずつ変わってきている話。
沖縄で、気安く「オバァ」などと声をかけてはいけない話。
沖縄の人たちの誇り高さの話。
そして無念さの話。
本土で沖縄出身者が差別的に扱われた話。
紹介しきれませんね。
ウチナーグチは母音が3つであることも知りました。
それに、集落ごとに言葉が違うこと。
そうしたウチナーグチがだんだんと若い世代には使われなくなってきたこと。
そして、なによりも、オバァがいなくなってきたこと。
そうした話は、すべて私たちのまわりでも起こっていることかもしれません。
最後に、沖縄のチャップリンといわれた天才ブーテンの漫談のCDを聴かせてくれましたが、まったく聞き取れませんでした。
言語がこんなに短時間に変わっていくものであることに気づかされました。
いや、言語だけではなく、もしかしたら文化も価値観もそうかもしれません。
そう思うとぞっとします。
昨日、私はそれに気づいて、実際にぞっとしました。
「カンポーぬ喰ぇぬくさー」の歌や沖縄オバァのクガニコトバの、そのさらに下にあるだろう、琉球本来の古層文化への関心もますます高まりました。
いつかそうしたテーマのサロンを、沖縄の人に開いてもらえればと思っています。
明日は沖縄が日本に復帰して45年目です。
「平和で住み良さそうで、観光イメージの強い沖縄」という、私の安易なイメージを考え直さなければいけないと思うとともに、沖縄に対して、本土の政府(国民)がどう対処してきたかに関しても考えさせられました。
タイミングよく、今朝の朝日新聞の天声人語で沖縄のことが書かれていました。
まだお読みでない方はぜひお読みください。
| 固定リンク
「社会時評」カテゴリの記事
- ■世界がますます見えなくなってきています(2024.06.02)
- ■人間がいなくなった廃墟の中で生きていませんか(2024.05.09)
- ■共同親権が国会で議論されることの意味(2024.04.17)
- ■なぜみんな地域活動が嫌いになるのか(2024.04.04)
- ■あまりに予想通りで実に残念です(2024.03.25)
「お誘い」カテゴリの記事
- ■湯島サロン「『社会心理学講義』を読み解く③」のお誘い(2024.09.11)
- ■第3回増田サロン「老子は静かなロックだ 老子の思想と地湧きの思想」のご案内(2024.09.10)
- ■湯島サロン「山崎弁栄上人と光明主義」のご案内(2024.09.08)
- ■近藤サロン③「ダニエル・カーネマンの2つの思考モード」のご案内(2024.09.05)
- ■近藤サロン③「ダニエル・カーネマンの2つの思考モード」のご案内(2024.09.05)
コメント