■節子への挽歌3545:人は支え合って生きている
節子
今日も初夏を思わせる朝でした。
昨日は少し無理をしたので、今日は実釣しようと思いましたが、朝起きて外を見たら、また昨日の続きをやりたくなりました。
河津桜が鉢に植えているのですが(節子の生家では「盆梅」が盛んでしたが、わが家は「盆桜」です)、その場所替えをしたりしましたが、なにしろ狭い庭なので、持って行き場がありません。
節子は一体これだけの鉢や花木をどうしていたのでしょうか。
節子の時代に比べれば、半分ほどになっているはずなのですが。
しかし、早朝に汗をかくことはいいことです。
しかしまたいささか疲れました。
いつもとは違って、9時過ぎにパソコンを開きました。
我孫子にお住いのコカリナ奏者のSさんからメールが届いていました。
次の土日に、わが家の庭でオープンカフェなので、そのお誘いのメールを出していたのですが、その返事でした。
Sさんは、節子が亡くなった2年後に、宮内さんがわが家に来て、私を元気づけるミニコンサートをやってくださったのですが、その時に来てくださったのです。
その頃はまだ私は、「心ここにあらず」のような状況で、幽界を生きていた気がしますが、当時、宮内さんはよく我が家に来てくれました。
いつもギターを持って。
Sさんも、その後、私と同じような体験をされたようです。
でも彼女にはコカリナがあるので、自分の気持を表現できているようです。
その後、私はSさんの演奏を聴いたことがありません。
聴くチャンスは何回かあったのですが、どうも行く気が起きません。
音楽の力はすごいことを知っているだけに、行けないのかもしれません。
Sさんからのメールを読みながら、たくさんの人に支えられて、いまの私があることを改めて感じます。
だとしたら、私も誰かを支える役割を果たさなければいけません。
人はこうして支え合って生きている。
この頃、それを痛感します。
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