■節子への挽歌3531:こどもの日の手賀沼公園
節子
こどもの日です。
というわけで、娘母子が手賀沼公園に遊びに行くと言うので、出てこないかと声がかかったので、私も少しだけ付き合いました。
手賀沼公園はわが家と娘の家との真ん中なのです。
天気がいいのでにぎわっていました。
公園内をミニ新幹線が走っていて、娘母子はそれに乗ったり、砂場で遊んだりしていましたが、節子がいないとなんだかそんな風景も楽しめません。
節子が闘病時代、毎朝、ふたりでここに散歩に来ていました。
朝早くて、人は少なかったですが、常連の人もいました。
何らかの事情を抱えていそうな人も何人かいました。
まだみんなが動き出す前の、早朝の公園には、いろんな物語があるのです。
私たちは、沼に飛び出した突端の水辺のベンチで、いつも30分ほど話しました。
何の話をしたのでしょうか。
いまはまったく思い出せません。
病状が悪くなるにつれて、節子は歩くのが困難になってきました。
元気な時であれば、わが家と公園とはふつうに歩いても5分ほどですが、次第にその時間が長くなって、最後は30分近くかかるようになりました。
そんな思い出がありますので、節子がいなくなってからはめったに公園には行きません。
今日は、たぶん10年ぶりに、公園のでっぱりにある、節子とよく一緒に座ったベンチのところにまで行きました。
そのあたりから、注意すればわが家の屋根も少しだけ見えるのです。
手賀沼にはスワンボートがたくさん出ていました。
節子は、いつかボートに乗ろうと言っていましたが、残念ながらそれは実現しませんでした。
手賀沼公園は、すぐ近くで、とてもいい公園なのですが、やはりそう気軽に散策はできないのです。
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