■節子への挽歌3555:76歳の誕生日
節子
今日は誕生日なので、FBでいろんな人からメッセージが届いています。
私が、自分の誕生日には無頓着なのは節子も知っている通りですが、今日はジュン夫妻がお祝いしてくれるそうです。
節子がいなくなってから、自分の誕生日を祝う気分が全くなくなっていて、たぶん娘たちも対応しにくかったのだろうと思います。
お祝いのメッセージを素直に受け止める気分にはなれなかったからです。
生きていることさえ、何かすっきりしなかったほどですから。
昨年あたりから、漸くそうした気分は薄れましたが。
それにしても節子がいなくなってからもう10年。
お互いに考えられなかったことです。
しかしこの調子だと、むかし占い師が予言してくれたように、93歳まで行きそうです。
それがいいかどうかは難しい問題ですが。
最近、考えなければいけない問題が多くて、頭がいささか混乱気味です。
自分の世界に浸りたい気もしますが、困った人がいたら、手を貸さないわけにはいきません。もう少し前であれば、もう少し役に立てたのですが、最近はいろんな面であまり役立つことができません。
自らの無力さを嘆きたくなりますが、それ以上に自分の弱さがいささか情けないのです。
無理ができなくなっているのではなく、無理をしなくなってしまっている。
この数日、頭痛に悩まされていますが、これはたぶん体力の問題ではなく、楽をしようと思う私自身の心根の表れでしょう。
誰かの元気をもらいたい。
最近つくづくそう思います。
今日は静かな初夏日和です。
私の好きな空を見ていると、心がやすまります。
空の向こうには、いろんなものが見えます。
そういえば最近節子のお墓に行っていません。
それに気づきました。
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