■節子への挽歌3546:「淋しさは心の奥底からなくなる事はなく、だからよいのかもしれませんが。」
節子
昨日書いたSさんからまたメールが来ました。
私も夫を亡くし7回忌を迎えました。
私には仲間とコカリナがあったので泣きながら立ち直れましたが
淋しさは心の奥底からなくなる事はなく、だからよいのかもしれませんが。
お話は聞いていましたが、私には声をかけることもできませんでした。
しばらくはあまり活躍されていないようでしたが、その後、いろんなところでSさんのお名前をお聞きしました。
活動を再開され、元気になられたようでした。
このメールの1行が、とても納得できます。
淋しさは心の奥底からなくなる事はない。
でも、だからよいのかもしれない。
私もそんな気がします。
むしろ、その淋しさが、私の支えになっている。
素直に、そう思います。
Sさんとは、一度しかお会いしていません。
また近いうちにお会いできるかもしれません。
しかしまあ、「会う」という行為すら、最近はあんまり重要なことではないような気がしてきています。
「会うべき人には必ず会う」というのが、私の信念でしたが、
最近は、「会うべき人にはいつも会っている」というような気がしています。
6時になりました。
手賀沼の対岸のお寺の鐘の音が聞こえてきました。
さあ、今日はいい日になるでしょう。
ようやく私の「気」も戻ってきた気がします。
解けない問題など、あるはずがありません。
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