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2017/05/08

■節子への挽歌3532:「今の私には響きません」

節子
挽歌にコメントをいただいた人からメールが届きました。
その方と、少しずつですが、メールのやりとりがはじまりました。
数日前に届いたメールに、こう書かれていました。

なんでもない今日に感謝できる人は、本当の幸せを知っている。 どんな成功の日々も、平凡な日常に勝らない。 ただ生きているだけで、十分に価値がある。

この言葉は、大切な人と一緒に生きていた日々には、心を打ったでしょう、無職で、大切な人を失った、今の私には響きません。
今から何か始めればよいのですよね、現在自分の周りにいる人や、これから出会う人達を大切に思い、生きる意味を探し続ければいいのですよね。

その通りだと思いました。
私は挽歌で、最初の3行のようなことを書いたこともありますし、
そう思ってもいるのですが、
素直に考えると、まさにこの人が言っているように、
ほんとは私の心には響いていないのです。
そう思うと何か辛くなるので、最初の3行を自分に言い聞かせているだけかもしれません。
念のために言えば、しかし、生きることに意味があり、なんでもない今日に感謝している自分も、間違いなく存在しています。
そう思う私には、嘘はない。

でも、その私の奥に、どこか虚ろな私もいるのです。
それを見透かされてしまったようで、このメールは頭から離れません。

そして、この人に先週、お会いしました。
自分の辛さや寂しさを微塵も感じさせない人でした。
この挽歌ももしかしたら読むかもしれないので、書きづらいのですが、もしかしたらこの人はまだ気がはっているのかもしれません。

「生き死に」は、自分で決めてはいけないと私は思っています。
生まれた以上、生きる責任がある。
生きつづけたかった節子が、教えてくれたことでもあります。
生きたくても生きつづけられない人がいるとしたら、生きつづけられる人は生きるのが責任です。
そう教えてもらったのです。
そして、生を終えなければいけなくなったら、必ずそれも自分でわかる。
これも節子が教えてくれたことです。

この方からのメールがずっと気になっていたので、書いてしましました。
この方も、きっと、心に響くとまでは言えなくても、心に入ってくる時が来るでしょう。
そう思うと、少し心がやすまります。

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