■原発反対のデモに行く時間があったら、その前に「チェルノブイリの祈り」を読んでほしい
今日、不覚にも、電車の中で久しぶりに涙をこぼしてしまいました。
ベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチの「チェルノブイリの祈り」(岩波現代文庫)を読んでいたのですが、その最初の消防士の妻の語りに、涙をこらえられなかったのです。
アレクシエービッチについては、一度書きこんだことがありますが、無名の人の声をていねいに拾って、大きなメッセージを伝えてくれる作家です。
今回は、書名にあるように、チェルノブイリの原発事故のために、人生を変えてしまった名もなき人々の声を丹念に聞きだしている作品です。
その最初の1編が、事故後の消防作業で被曝した夫の悲惨な最期を看取った若き妻リューシャの語りです。
リューシャはこう語りだします。
なにをお話しすればいいのかわかりません。死について、それとも愛について? それとも、これは同じことなんでしょうか。 なんについてでしょう? 私たちは結婚したばかりでした。 買い物に行くときも手をつないで歩きました。 「愛しているわ」って私は彼にいう。 でも、どんなに愛しているかまだわかっていませんでした。 考えてみたこともなかった。
そして、夫が死に向かうさまが語られます。
そして彼女が逝かに夫を愛していたかも。
最後はこう終わっています。
(被曝した)たくさんの人があっけなく死んでいく。 ベンチにすわったままたおれる。 家をでて、バスを待ちながら、たおれる。 彼らは死んでいきますが、だれも彼らの話を真剣に聞いてみようとしません。 私たちが体験したことや、死については、人々は耳を傾けるのをいやがる。 恐ろしいことについては。 でも…、私があなたにお話ししたのは愛について。 私がどんなに愛していたか、お話ししたんです。
「孤独な人間の声」と出したこの1編は、文庫本にして28頁。
この短い1編で、私はこれまで読んだ何冊ものチェルノブイリやフクシマのレポートのすべてよりも、大きな衝撃を受けました。
そして問題の意味を深く理解できた気がします。
改めてアレクシエービッチのすごさを実感しました。
そして同時に、やはり真実は、名もない人たちの心の中にあることも実感しました。
アレクシエービッチは、昨年、フクシマでも孤独な人たちの声を聴いています。
私はまだ読んでいないのですが、まずは読まなければいけないと思いました。
たぶん私はまだフクシマについて、何も知っていないのでしょう。
新聞に書かれた話は、私自身は違和感どころか嫌悪感を持っています。
嘘もいい加減にしてよと言いたいくらいです。
リューシャの語りを読んだら、原発再稼働などということがいかに狂気であるかがわかるでしょう。
原発がなくても人は生きられますが、愛がなければ人は生きられません。
そんなこともわからない人間が多くなっていることが、とても哀しいです。
それで、今朝は電車の中で涙がこらえられなくなったのです。
原発反対のデモに行く時間があったら、その前にぜひ、「チェルノブイリの祈り」を読んでほしいと思います。
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