■節子への挽歌3535:孫が1歳になりました
節子
今日は孫の、にこの1歳の誕生日で食事会に招待されました。
娘の連れ合いの両親なども一緒で、ちょっとにぎやかな誕生会になりました。
1歳の誕生日には、いろんなことをやるようです。
私にはそういう知識はあまりないのですが、節子がいたらきっと喜んではしゃいだことでしょう。
私はただ食事をご馳走になるだけでした。
昨日も書きましたが、最近やっと、人間が成長していくことの大変さに気づいたおかげで、誕生日を祝うことの意味が少しわかってきました。
孫もかわいくなってきましたが、まあ孫に限らず、子どもはみんなかわいいものです。
自分の孫はとりわけかわいいという人もいますが、私にはあまりそういう気持ちはないのです。
無邪気な子供はみんな同じようにかわいいです。
これは女性と男性の違いかもしれません。
お祝いは、孫用におもちゃと本です。
1歳まで何事もなく育ててありがとうという意味で、親にお祝いを持っていこうかと考えましたが、まあ私らしくないので、やめました。
それにやはり、お祝いとしてお金を渡すのはどうも抵抗があります。
孫がかわいくて、こっそりとお小遣いをあげる祖父には、私は絶対にならないでしょう。
お金をやるとしたら、こうした慶事ではない時に、娘夫婦に渡したいと思うのが私の考えなのですが、それはどうも世間的なやり方ではないようです。
でもまあ、いまは節子もいないことだし、私流を貫かせてもらうことにしました。
どうもお金と付き合うのは難しいです。
節子がいた頃は、私はお金とは全く無縁でいられました。
いまから思うと、すべてを節子に押し付けていたのかもしれません。
娘の義父母は、私よりも年上です。
おふたりにとっては16年ぶりの孫だそうです。
私にとってははじめての孫。
この点もまた、私たちの生き方がいささか常識を外していた結果かもしれません。
いまからそんなことを思っても、もうやり直せませんが。
私と娘のユカが選んだおもちゃと本は、孫には気にいられたようです。
この子が成人する頃には、もう私はいないのだと思うと、ちょっと不思議な気がしました。
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