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2017/06/08

■節子への挽歌3564:人は話すと楽になる

節子
私より若干年下の人が活動の合間に湯島に来てくれました。
そして、なにか自分のできることはないか、と言ってくれました。
私の最近の様子を少し心配してくれたようです。
心配してくれる人は多いのですが、具体的に何かできることがあれば引き受けると実際に申し出てきてくれた人ははじめてです。
とても元気が出ました。

その人と何かをかつて一緒にやったことがあるわけではありません。
彼は30年間、まさにビジネスの真っただ中で仕事に取り組んできた人ですが、いまは私が知る限り、私の友人の仕事を無償で(たぶん資金的にも応援しながら)、それも半端ではない時間をかけて支援しています。
私が、その人と知り合ったのは、その活動のおかげですが、実はその前にもその人の姿は見ています。
私がコーディネーターをつとめたシンポジウムで、会場から発言してくださったのです。
終了後、その人と話したかったのですが、会場が広くて、その人にたどり着く前に、いろんな人につかまってしまい、話せませんでした。
それが、まったく別の理由でお会いでき、以来、ささやかにフェイスブックでつながっていたのです。
最近の、私のある投稿に反応してくれ、コメントだけではなく、わざわざ湯島まで出かけてきてくれたのです。
それだけでも感謝しなければいけません。

先日お会いしたコミーの小宮山さんのよくいう言葉に、講釈だけの人は信用できないというのがあります。
私も同感で、実践のない人や相談に乗る場合、身を引いて相談に乗る人は私の世界の人ではありません。
誰かの相談に乗るのであれば、自分の人生とつなげながらでなければいけません。
自らもリスクをとらずに相談に乗れるわけがないと私は考えています。
そういう意味で、お金をもらって相談に乗ったり、仕事として相談に乗ったりする人は、私には別の世界の人です。
もちろんそういうことが悪いとか意味がないとかいうわけではありません。
それも十分に価値があり、必要な仕事です。
それを否定するつもりはありません。
ただ単に私の趣味ではないということです。
あるいは私にはできないことなのです。

その人、Kさんと話していて、少し元気が出てきました。
ついつい調子に乗って、これまでの話や私の私的な問題などを話してしまいました。
人は話すと楽になるものです。
しかしその一方で、話しすぎたなといつも悔いも残ります。
たぶん私のところに来て、自分のことを話してくれる人も、そうなのかもしれません。

昨日は、「話を聴くこと」と「話をすること」とふたつをやりましたが、いずれもそれなりに難しいです。
そのいずれにおいても、ちょっと悔いが残っています。
話をするのも話を聴くのも、まだまだ未熟のようです。

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