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2017/06/20

■節子への挽歌3578:ODSの思い出

節子
一昨日、旧友と会いました。
彼が、ODSの創業者の山口さんの息子さんがブログで山口峻宏さんのことを書いていることを教えてくれました。
https://note.mu/blogucci/n/n9e5253105ef6

ODSにも山口峻宏さんにも深い思い出があります。
息子さんが書いているように、山口峻宏さんは、日本でCIブームを起こしたおひとりです。
私はそれ以前からODSとも山口峻宏さんとも付き合っていました。
まだ私が東レにいた時代です。
そこに一人の若者がやってきました。
私の記憶では下駄をはいていました。
当時私は、経営企画室という戦略組織にいましたが、その関係で、外部のいろんな人と付き合うこともまた仕事の一つでした。
社会の動向を知らずして、経営戦略などは立てられないからです。
しかし、ビジネススーツをきれいに着こなしている人との付き合いには退屈していました。
そこに下駄ばきの青年がやってきた。
彼は、山口さんがスカウトした青年でした。
北欧でヒッピー生活をしていた三浦さんです。

三浦さんにほれ込んだこともあって、ODSにもよく行きました。
価値観変化を指標化し時代の先を考えるプロジェクトにも参加しました。
しかし、東レで私がCIに取り組んだ時に選んだのは、ODSではなくパオスでした。
ここにもいろんな物語があるのですが。

そのCIの仕事に取り組んだことで、私は人生を変えてしまいました。
会社のアイデンティティ(CI)ではなく、自分のアイデンティティの問題にぶつかってしまったのです。
会社を辞めたあと、ODSに挨拶に行きました。
行くと役員室に、同社のコアメンバーが並んでいました。
私の知った顔ばかりでした。
そこでODSに来ないかと誘われました。
もちろん断りました。
人生を変える決意をしていたからですが、決意していなかったら、誘いに乗ったかもしれません。
しかし、その後も、三浦さんとの付き合いはつづきました。
そしてある日、突然、彼の訃報が届きました。
急死でした。
その頃、私は若い友人を数名、同じような突然死で喪っています。

会社時代に、経済同友会で「経済文化フォーラム」という組織ができました。
8名のかなり密度の高い研究会でした。
私は諸井虔さんのご指名で、参加させてもらいました。
そこでの議論は1983年に日経から出版されていますが、その研究会に山口さんに来てもらったことがあります。
ゲストはいつも、エスタブリッシュメントの人たちでしたので、私には退屈でした。
そこで、たまには違う世界の人の話を聞こうと提案させてもらったのですが、残念ながら諸井さんにはあまり気にいってはもらえませんでした。
三浦さんも同行していましたが、彼が話せば変わったでしょう。
山口さんはサービス精神があり過ぎました。

山口さんがその後取り組んだサードエージプロジェクトの第1回目にも参加させてもらいました。
そこで私はまったく気が乗らなくて、途中で帰りたくなってしまい、パネリストなのに山口さんの意向に反する発言ばかりしていた気がします。
以来、仕事の関係では縁が切れましたが、山口さんはとてもいい人でした。

このブログを教えてくれた人は、私が会社を辞めた後に出会った人です。
私の生き方をよく覚えてくれていて、いささか私を過大評価しています。
でもまだ彼と会った時には、ビジネスマンから完全には抜け出していなかったのでしょう。
それに人は、過去の実績で人を評価するものです。
当時私には少しだけ会社経営の世界での実績がありました。
しかし、それは私の実績ではなく、私を支えてくれた人たちの仕事でした。
私もしばらくそうした遺産にしがみついていたのかもしれません。

自分をきちんと生きられるようになるまで、やはり時間はかかるものです。

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