■節子への挽歌3573:また確保していたはずの日曜が埋まってしまいました
節子
時評にも噛みましたが、いわゆる「共謀罪法」が深夜、成立しました。
とんでもない方法で、強行採決された結果です。
昨夜はそれを見ていて、あまり寝ていません。
国会前でのデモにも誘われましたが、いまはデモには疑問を感じているので、行きませんでした。
しかし今回は行くべきだったかもしれません。
それはともかく、朝、5時にパソコンを開きました。
こんなメールが入っていました。
北陸に住んでいる若い女性からです。
お久しぶりです。
夜分遅くにすみません。
変わらず行き詰まっており、限界でご連絡させていただきました。
複雑な気持ちになりました。
共謀罪法成立への暴力的な取り組みが進められているなかでも、それどころではなく目の前の問題でぎりぎりになっている人がいるのです。
そういえば、この1週間、いろんな相談にいろんな人が来ましたが、共謀罪法など話題にもなりませんでした。
みんなそれどころではない。
しかし、実はそういう状況に追いやられていることは、まさに政治や経済のあり方に深く関わっているのです。
そこがぷつんと切られている。
その構造が可視化されてくれば、事態は変わりだすでしょうが、なかなか見えては来ません。
行き詰っている人たちの問題は、一見、多様で、それぞれ関係がないように見えますが、実はそれらはつながっている。
いろんな人の話を聴いていて、それがよくわかります。
昨日、気分直しに「壮烈第七騎兵隊」と言う大昔の西部劇を見ました。
私が生まれた年に制作された映画です。
有名なカスター将軍の話ですが、予想もしていなかったセリフが出てきます。
「金か名誉か」.
すでに1941年に、これが問題になっていたことに驚きを感じました。
その映画では、お金の亡者になってしまった人が、最後はカスターと共に死ぬことで名誉を挽回しましたが、今やそんな人はいないでしょう。
金を目指すことが社会の大きな流れになってしまった。
だからそれになじめない人は、行き詰ってしまう。
金を目指して行き詰った人も少なくありません。
そういう生き方は、私はとりませんが、だからと言ってそういう生き方を否定する気にはなれません。
そういう人はたぶん、そう生き方をするように社会から誘導されたのでしょうし、私もまたそういう生き方をしている人の恩恵も受けていることは否定できません。
だからそういう人の相談にも乗らなければいけません。
どうしたら「事業で収益を得る」ことができるか、をアドバイスしなければいけないこともあるわけです。
北陸から上京する女性に何ができるかわかりませんが、相談に乗ることにしました。
また休日がなくなりました。
でもまあ、これが私の役目なのでしょう。
節子が手伝ってくれていたら、もう少し楽ができるのですが。
| 固定リンク
「妻への挽歌18」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌4500:東尋坊からのお餅(2019.12.28)
- ■節子への挽歌4499:歯医者さんと節子(2019.12.27)
- ■節子への挽歌4498:年末のお接待(2019.12.26)
- ■節子への挽歌4496:年末の相談つづき(2019.12.24)
コメント
佐藤様
Pattiです。私も今回のいわゆる欠陥だらけの「共謀罪法」が成立してしまったことに大変失望しています。
速報が流れた時は思わず涙があふれました。いわゆる「戦争法」の強行採決のときの嘆きがまたも、です。
ここまで悪法が次々と成立する時代が訪れるとは思っていもいませんでしたが、これは甘かったということでしょう。もっと前から警鐘を鳴らしている人はいたのですから。
私はいずれの団体にも属していませんので、自分のその時の気持ちに従ってデモや集会に参加しています。今日は一人で悶々としていられず、議員会館で斎藤貴男氏や山本太郎氏をはじめ「共謀法」に反対するまっとうな人たちの話を聴いてきました。
佐藤さんのおっしゃる通り、それこそまっとうなプロセスを破壊して自分たちの都合のいいように委員会の進行も変えてしまう。そこに何の逡巡も感じないことが恐ろしい。
今は多くの人が日々の仕事に終われ、スマホの小さな画面にとらわれているように見えます。顔を上げて周りを見る、他者の気配を感じるということをしなくなると配慮したり気遣うという気持ちも次第に薄れていきます。今の政府にとってはスマホに夢中になって政治に無関心でいてくれる方が都合がいいのでしょう。
一方で、目の前のことにぎりぎりなっている人は政治や社会に対峙する余裕がない。その通りだと思います。
私自身も6年前の東日本大震災とそれに伴う原発事故のときは、目の前の彼の病状が日に日に変化している時期と重なり、被災地の方々に思いをは馳せる余裕はありませんでした。彼を見送ってからグリーフケアを通して被災地の方と喪失の思いを強く共有するようになったのです。
個人の人生にはさまざまな場面があり、社会の変化に敏感になれないときもあります。それでも自分で考えようとする素地さえあれば、視界が開けていく機会は訪れると思います。このように書けるのも「反省」する「時間」を経験したからでしょう。時間とは不思議なものです。
佐藤さんはもうずっと人との関わりを大切にして相談にものっていらっしゃる。ずっと続けてきたことでそれが佐藤さんの生きた方としても敬意を表せずにはいられません。「節子さんがいたらもう少し楽ができるのですが」という結びは胸がつまります。こんな世の中だからこそ、ゆるぎなく、安心できて、自然に言葉を返してくれる伴侶が側にいてくれたらと私も思ってしまいます。そんな経験をしただけでも贅沢なのにあふれる感情は抑えることはできません。
最後に3月29日の私のコメントに呼応した挽歌ありがとうございました。もう桜の季節から初夏になってしまいました。挽歌を読んだ後、少々気恥ずかしくなり、すぐコメントが返せないまま失礼していました。
季節の変わり目は体調管理大変ですが、ぜひご自愛ください。
Patti
投稿: patti | 2017/06/16 00:27
pattiさん
いつもありがとうございます。
国会前に行けば、もしかしたらすれ違えたかもしれませんね。
斎藤貴男さんや山本太郎さんの行動には、たとえ時に行き過ぎがあろうと、私を元気づけられています。
私の場合、実は相談を受けるというよりも、私に話に来る感じなのです。
妻がいた頃からそうでした。
時に妻が口をはさむことも、稀でしたが、ありました。
その人が帰った後、よく妻に、あの人は何をしに来たのかなあと訊いたものです。
相談と言えるような具体的な話がないことが多かったのです。
でも話したい人は、何か答を求めている。
そういうことから、いつの間にか、湯島に来る人の前に座ると、この人に対して何ができるのだろうかと自分で考えるようになってしまったのです。
結局、何もできないのですが、私に向けて放たれた悩みや悲しさは、放たれたぶんだけ少し軽くなるのかもしれません。
ですから最近はできるだけ聞く(訊く)ようにしているのです。
たとえ何もできなくとも。
妻が元気の時には、時々、デモに行きました。
妻は地方で育っていたので、デモの経験がありませんでした。
イラク派兵特別法の時が最初でしたが、かなり人が集まったデモだったのに翌日、新聞でもテレビでも報道されませんでした。
それがマスコミよりも私の言葉を、妻が信ずるようになったきっかけでした。
デモに行くと、いまでも議員会館の前でもみくちゃになったことを思い出します。
デモに誘われることはいまもあります。
デモに行くと、怒りが少しおさまります。
自分から放たれていく。
それが最近私がデモに行かなくなった理由です。
それに代わって、湯島でサロンをすると、怒りが増幅する。
他者の怒りと語り合うことで、新しい怒りが象(かたど)られる気がするのです。
もっともサロン参加者の多くは、デモと同じように、いやそれ以上に、怒りを放っているかもしれません。
だから、最近はサロンやフォーラムも、ちょっと懐疑的になっています。
余計なことを書いてしまいました。
いつか湯島のサロンにも遊びに来てください。
共謀罪法の成立で涙を流した人の話をお聴きしたいです。
怒りではなく涙。
ハッとさせられました。
いつも気付きをいただき、感謝します。
投稿: 佐藤修 | 2017/06/16 06:59