■節子への挽歌3575:子どもの心
節子
今日も孫が来ていました。
子どもたちはみんな同じように見えます。
その子どもたちが、大人になるとなぜ変わってしまうのか。
私が子どもの頃、赤ちゃん共和国という漫画がありました。
あまり鮮明な記憶ではないので、間違っているかもしれませんが、大人たちが子どもの心を失うことがなければ、社会はとてもゆたかで幸せで、住みやすいことでしょう。
なぜ大人になると、みんな変わってしまうのか。
それが不思議でなりません。
幼児の頃に親から捨てられ、苦労して生き抜いてきた友人がいました。
数年前にがんで亡くなりました。
彼は男前の生き方を目指していました。
彼は私によく言っていました。
生きるためには悪いこともしなくてはいけなかった、と。
彼の気持がよくわかりました。
しかし、彼にはどこか「子どもの心」が残っているような気がしました。
ですから彼を全面的に信じて、それなりに彼の危機に、私ができることをしました。
彼の男前の生き方を信じたのです。
しかし、それは完全に裏切られてしまいました。
最後は、たぶん私にまで嘘を言ったのかもしれません。
彼にとってはやむを得ないことだったのでしょうが、私には大きなショックでした。
最後に裏切られたのがとても哀しかったです。
本当のことを言ってくれれば、対応の仕方もあったでしょう。
大人になってからも、子どもの心を持ち続けることは、至難のことです。
もちろん何の苦労もしないで、子どものわがままさだけを維持している人はいるでしょう。
しかし、それは本当の「子どもの心」ではありません。
自分で生きる生活費を得ていくためには、時に人をだまさなければいけないのかもしれません。
生きるためには、子どものような赤心は邪魔になるかもしれない。
しかし、もしそうであるとしたら、生きるとはいったい何なのか。
孫と遊びながらそう思います。
そして改めて思うのですが、大人の先生は子どもたちです。
裸の王様の寓話が示すように、私たちは子どもからもっと学ばなければいけません。
節子から教えてもらったことはたくさんあります。
娘たちから教えられたことも少なくありません。
しかし、孫から教えられることはもっとありそうです。
いい1日でした。
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