■節子への挽歌3614:すべては、身から出た錆
節子
最近少し仏教の世界に近づいているようです。
昨夜、夜中に目が覚めて、その時になぜかはっと気が付きました。
自らに起こるすべての縁上は、自らから始まるということです。
こう言ってしまうと仏教の教えからは外れてしまうのでしょうが、いま私に覆いかぶさってきているさまざまな問題は、その出発点はすべて私自身から始まっていることに気づいたのです。
ともすれば、どこかで他者のせいにしがちになっている、最近の私の思考パターンに気づきました。
すべては、 身から出た錆。
それを忘れていました。
わがままに生きていると、こんなことまで忘れてしまうのです。
困ったものです。
そう思ったからと言って、しかしすぐに気分がすっきりするわけでもありませんし、
問題が解決するわけでもありません。
相変わらずいささか気の重いメールは届きます。
でもまあ他者のせいにするのはきっぱりとやめようと思います。
いや止められないかもしれませんが、そういう努力をしようと思います。
孔子と違って、なかなか不惑に至りません。
今日は午前中時間があったので、畑に行きました。
あまりに荒れていて、隣家にも道を通る人にも迷惑でしょう。
誰かに頼めば、やってくれるでしょうが、できるだけお金を使う生活はしないようにしていますので、自分でするしかありません。
誰かに手伝ってもらえればいいのですが、かなりハードな仕事なので、頼めません。
これもまた「身から出た錆」。
畑を引き継がねばよかったのです。
しかし、畑で久しぶりに汗をかいたので、気分は少しすっきりしました。
熱中症前後と思われるほどに疲れましたが。
小さな生き物たちにもたくさん出会いました。
その一方で、たくさんの野草を切り取ってしまいましたが、感謝しながら刈り取りました。
昨日は、相模原市の障害者福祉施設で、哀しい殺傷事件が起きて1年目でした。
いろいろと考えることが多いのですが、加害者も含めて、どうしてもだれかを責める気にはなれません。
せめて自分の生き方だけでも問い質したいと思っています。
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