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2017/07/22

■節子への挽歌3610:相談が続いています

節子
湯島で2時間半、相談に乗っていました。
相談に乗るのに料金を取るということには、私の主義に反します。
相談に来るのは困っているからですから、困っている人から相談料はもらえません。
最近は何かと相談はやりですが、ほとんどが有料なのがどうも納得できません。
ですから私自身が無償で相談に乗るのは、当然のことなのです。
暑くても湯島くらいに出かけるのは、できる時には引き受けなくてはいけません。
相談を受けている時にも、電話がありました。
平日の夜に会えないかという電話です。
夜はできれば避けたいですが、夜しか時間が取れないようですので、これまた仕方がありません。
どうしてこうも相談したい人が多いのでしょうか。

しかし、ふと今日はちょっとおかしいかなと感じました。
今日も相談に来た人は、有料で相談事業をしている人です。
そういえば、今週初めに相談に来た人がいますが、その人も相談料というかカウンセリング料金をもらっているそうです。
私の場合は、けっこう、相談を仕事にしている人が相談にやってくるのです。
ビジネスの相談ではありません。
生き方の問題です。
今日も今週初めの人も、私の言葉で涙さえ出します。
それほどに追い込まれているのです。
それで、ついつい、あなたがこんな状況では相談に来た人を元気にできないだろうと、2人に言ったのですが、言いながら、やはりどこかがおかしいと思いました。

料金をもらう相談は「仕事」です。
仕事で果たして人に寄り添えるのか。
困った人に対する相談活動はいいことですが、最近はそれらがどんどん営利化しているのが悲しいです。
ボランティアと称する小賢しいビジネスも流行しています。

サミュエル・ボウルズの「モラル・エコノミー」という本を読みました。
ホモ・エコノミクスという経済学の前提となる人間像が、実際の人間をそうしてしまったというようなことが書かれていました。
まったく同感です。

そういえば、人は「性悪か性善か」などという人がいます。
私にはバカげた質問だと思いますが、自分を考えれば人は本来性善であることは間違いありません。
「私は性悪説の前提で考えている」などという人がいますが、それは「私は性悪な人間です」と言っているようなものです。
この人はそれがわかっているのかなといつも不思議に思いますが、よくまあ恥ずかしくもなく、人前で公言できるものです。
そういう前に、まずは反省して性根を叩き直せと言いたいです。

話が外れてしまいました。
なんだか世の中がおかしくなっています。
私も少しおかしくなってきているようです。
節子がいたら、こうはなっていなかったでしょう。
ちょっと余計なことをやりすぎていますね。
自分のことができていないのです。
困ったものだ。

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