■競争の社会から共創の社会へ
最近読んだ「開城工団の人々」は、北朝鮮と韓国の共同事業として行われていたケソン(開城)工業団地で働いていた韓国の人たちの体験談を集めたものです。
とても示唆に富む話が多いのですが、こんな話は皆さんどう受け止めるでしょうか。
チーム長として、北朝鮮の人たちが働くチーム長として働いてきた人の発言です。
あちらは社会主義なので一生懸命働いてもインセンティブがありません。 いい加減に仕事をしても、我々に人事権がないために制裁できないのです。 それだから仕事ができない人ができる人に合わせるのではなく、できる人ができない人に合わせるようになります。 こんな状態が続くと生産が落ちる場合が出てきます。 我々が望む生産力に到達しようとすれば、人員を補充するしかありません。 一つのラインに南側では12名が必要だとすれば、開城では15名を入れるというふうにです。 そうやって生産性を100%に合わせています。
組織の生産力を高めるには、各自の生産性を高めるか、働く要員を増やすか、の2つの方法があります。
私たちのいまの社会では、前者が目指されています。
生産性をあげられない人は、職場には居場所がなくなる社会かもしれません。
その結果、組織の生産性は高まり、経済的な競争に勝ち抜いてきたわけです。
でも確かに、後者の発想があります。
一番ゆっくり働く人を基準にして、必要な生産力を実現するための要員数を決めていくわけです。
そんなことをやっていたら、激しいコスト競争にさらされている企業としてはやっていけないと思いがちです。
でもそうでしょうか。
要員数と人件費とは同じではありません。
限られた人件費を、みんなでなかよくシェアすれば、人件費をあげなくても大丈夫です。
できる人の給料は下がるかもしれません。
でも給料以外の何かが獲得できるような気がします。
無理してお金を消費しなくてもよくなるかもしれません。
そして組織全体の雰囲気が変わっていくかもしれません。
人工知能が、人の働く場を奪っていくという話があります。
2045年のシンギュラリティ仮説危機など、私にはまったくばかげた話だと思いますが、それはそれとして、人工知能に限らず機械化や自動化は人の職場を奪ってきました。
だから景気が良くなっても仕事は増えていきません。
しかし、発想を変えたらどうか。
そもそも「職場が奪われる」という発想は、まさに機械と人間を同じ次元で考える競争の発想です。
その時点で、たぶん発想を間違えているのです。
機械が職場を奪っているのではありません。
職場を奪っているのは、機械を使って私欲を得ようという人間です。
仕事を機械が代行してくれるのであれば、そこから生まれた時間をみんなでシェアし、働く時間を減らせばいいだけの話です。
ケソンの話は、いろんなことを示唆してくれます。
そろそろ「常識の呪縛」から抜け出たいと思っています。
そうすれば、いまもそれなりに生きやすい時代です。
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