■節子への挽歌3616:自分の歳は自覚できないものです
節子
ちょっとハードな3日間でした。
それで挽歌も書けませんでした。
この3日間、湯島の集まりがつづいたのですが、その前後になぜか相談事が押し寄せてきました。
自宅にまで電話があり、精神的にもいささか疲れました。
昨日、ある人と会ったのですが、3日前に突然首が回らなくなったそうです。
病院に行き、かなり回復したようですが、まだぎこちない動きが残っています。
その人は会社を経営していますが、いささか疲れが感じられます。
それで疲れているのだから気を付けたほうがいいといったのですが、逆にあなたのほうこそ疲れているぞ、と言われました。
その上、自分は疲れていないが、もし疲れているとしたら、あなたが原因だと憎まれ口をたたかれました。
それはこちらのセリフだと言い返しましたが、まったく困ったものです。
まあだいたいにおいて、みんな自分の疲れには気が付かないものです。
昨日はまた久しぶりに会った人がいますが、最近とても忙しそうなので、体に気をつけてね、と言ったら、佐藤さんのほうこそ、気をつけてくださいと言われました。
たしかに一般的に見れば、ずっと年上の私から、体に気をつけろなどと言われるのはおかしな話でしょう。
反省しました。
来月、あるところで行われるデモ行動に参加しようと思って、その話を教えてくれた人に伝えました。
その人と一昨日お会いしたのですが、佐藤さんは元気なのに驚きましたと言われました。
最初はその意味がよくわかりませんでした。
なぜならその人は沖縄までにも出かけている人ですから、そういうデモ活動にはなれている人です。
思いを表明したいのであれば、デモ行動に参加するのは当然のことです。
私はある思いもあって、最近は一切やめていたのですが、今回は参加したくなったのです。
ですから元気とかそんなことは思いもせずに、当然の反応をしたのですが、そういう行動への参加が元気だと思われる年齢になっているということなのです。
そういうことにはなかなか自分では気づきません。
節子がいれば、自分の年齢を実感できます。
一人だと、それがわからず、年を取るということが意識できないのです。
しかし、それでも「疲れ方」が最近違ってきました。
無理ができないどころか、ある時にドシンと疲労が出てきてしまう。
私もいつ、首が回らなくなるかもしれません。
その首が回らなくなった人(節子も知っている人ですが)と昨日は2時間話しましたが、相変わらず論争気味です。
お互いに疲れたねと言って別れましたが、幸いに今朝はまだ首が回っています。
でもこの3日間の疲れからはまだ解放されていません。
この3日間で、私は40人以上の人と話しました。
人と話すとどうしても何かが残る。
その人たちのメッセージが、まだ消化できずに、身心を駆け巡っている感じです。
カレンダーとは違って、今日は私のお休み日です。
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