■節子への挽歌3613:世間から解放された日の始まり
節子
久しぶりに寝坊をしました。
目が覚めたら7時を過ぎていました。
にもかかわらず頭はぼんやりしています。
昨夜はなぜか寝苦しい夜でした。
意識的には、いろんなことうぃちどすっぱり忘れようと決めたにもかかわらず、意識の底ではやはり万事気になっているのです。
煩悩からの離脱にはまだほど遠い。
いつもなら起きてすぐパソコンをチェックしますが、今日は「定休日」にしていたことを思い出して、直接、食事です。
昨夜はかなりの雨が降ったので、庭への水やりも必要ありません。
ちょっと濃い目のコーヒーを淹れました。
でも頭がすっきりしません。
昨日の疲れもあって、身体もすっきりしていません。
昨夜は、寝ないでどこかに夢遊していたのではないかと思うほどです。
もしかしたら、実際にそうなのかもしれません。
思い出せはしませんが、いろんなところを走るように歩いていた気もします。
しかし、夢の内容は思い出せません。
新聞を読むとまた心乱れるので、やめました。
テレビもやめ。
コーヒーも美味しく感じませんでした。
なぜか気が重い朝です。
午前中は、少し世俗から離れることに決めました。
けじめとして、挽歌だけを書いて、しばらくは読書することにしました。
選んだ本は、25年前に出版された「死の科学と宗教」。
岩波講座「宗教と科学」の7巻目です。
この講座は全巻購入したまま、1冊しか読んでいません。
そういうシリーズ本がいくつかあります。
時間ができたら読もうと思っていたのだと思いますが、余分の時間ができることなど、人生においてはないのです。
最近、そのことに気づきました。
雨が止んで、鳥たちが囀りだしました。
これをブログにアップしたら、パソコンはスウィッチオフします。
平安な1日になるといいのですが。
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