■戦後使われていた社会科の教科書をお薦めします
先日のサロンで参加者の濱中さんから、1948年から1953年の間に実際に使われた中学・高校社会科教科書のエッセンスを編集した「民主主義」(幻冬舎新書)という新書を教えてもらいました。
早速、読んでみました。
当時の政府や教育界の真摯な姿勢に、改めて感心しました。
この教科書よりもずっと試用期間は短かったですが、1947年に中学校で使われた「あたらしい憲法のはなし」を読んだ時にも感激しましたが、それからさらにこうした教育が行われていたことを初めて知りました。
改めて日本の教育界の劣化(民主主義を目指すという視点からの評価ですが)を残念に思います。
たとえば、こんな文章が出てきます。
多くの人々は、民主主義とは単なる政治上の制度だと考えている。民主主義とは民主政治のことであり、それ以外の何ものでもないと思っている。しかし、政治の面からだけ見ていたのでは、民主主義をほんとうに理解することはできない。 政治上の制度としての民主主義ももとよりたいせつであるが、それよりももっと大切なのは、民主主義の精神をつかむことである。なぜならば、民主主義の根本は、精神的な態度にほかならないからである。 それでは、民主主義の根本精神はなんであろうか、それは、つまり、人間の尊重ということにほかならない。 人間が人間として自分自身を尊重し、互に他人を尊重しあうということは、政治上の問題や議員の候補者について替戎や反対の投票をするよりも、はるかにたいせつな民主主義の心構えである。
私は、民主主義とは個人の尊厳の尊重であり、それをできるだけ実現することが民主政治の課題であると考えています。
それに続いて次のような文章が出てきます。
これまでの日本では、どれだけ多くの人々が自分自身を卑しめ、ただ権力に屈従して暮らすことに甘んじて来たことであろうか、正しいと信ずることをも主張しえず、「無理が通れば道理引っこむ」と言い、「長いものには巻かれろ」と言って、泣き寝入りを続けて来たことであろうか。それは、自分自身を尊重しないというよりも、むしろ、自分自身を奴隷にしてはばからない態度である。
これを読んで愕然としました。
まさに今もなお、私たちの社会はこうなっていないか。
つまり、戦後70年間、私たちは民主主義に関しては進歩していないのではないかと思ったのです。
編者の西田亮介さんも、「民主主義とは何かという、ときに青臭くも感じられる問いを、真剣に吟味する作業を怠ってきたこの社会は、今、何から始めればよいのだろうか」と問いかけています。
そして、「現代の大人が読んでも気づきが多数あるはずだ。何より、当時どのように民主主義が語られたかという「論調」に目を向けてほしい」と書いています。
「近い将来訪れるかもしれない大きな政治的選択の場面において、いやそれにかぎらず、日常生活における政治的選択の場面において、日本の民主主義がどのように発展し、固有性を確立し、あらためてそれらを「自分たちのもの」にできるのかどうか。あとは読者各位の判断と議論に委ねたい」という西田さんのメッセージが、私の心に深く響きました。
さて何かやらないわけにはいきません。
まずはこの本を多くの人に読んでもらおうと、この文章を書きました。
読むのは結構大変ですが、ぜひ手に取ってみて下さい。
ついでに、「あたらしい憲法の話」なども、お薦めしたいです。
コモンズ書店
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