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2017/08/27

■自分の問題と他者の問題とでは判断基準が変わるようです

また北朝鮮がミサイルを3発発射しました。
そんなことをやればやるほど北朝鮮はむしろ自らを滅ぼすのではないかと思う人は少なくないでしょう。
そんなことをやっても米国の核兵器には勝てるはずがないので、抑止力は高まらないと思う人は多いでしょう。
金正恩体制の政策に共感する人はあまりいないと思います。

しかし、その同じ人が日本では核抑止力を信奉しています。
人は立場によって、思考を反転させることができることがよくわかります。
自分のことは見えなくなるのかもしれません。
前にも書きましたが、核抑止力を信奉し、日本の軍事力強化や米軍基地が日本の平和に寄与すると考える人は、金正恩と同じ思考をしているように思います。
だとしたら、北朝鮮を非難するのは自らを非難していることにならないのか。
同じ仲間、同志であることを自覚したほうがよいように思います。
昨日からの報道を見ていて、改めてそう思います。
テレビのキャスターやコメンテーターも、どこが金正恩やトランプとちがうのかもわかりません。
みんな「日本ファースト」「自分ファースト」でしか考えません。
視野の狭さよりも、私欲の深さを感じます。
それを党名にするような人がいるのは驚き以外の何ものでもありません。
でもヒトラーはそれで一時の成功を収めました。
日本でも小池さんが、それで知事になりました。
ここでも私は感じます。
ナチスを支えたドイツ人たちと、いまの日本人のどこが違うのか、と。
私の生き方はこれでいいのだろうか、と。

昨日、茨城県の東海村で行われた「8.26原発いらない茨城アクション」に参加してきました。
東海原電を人間の鎖で囲もうというアクションです。
その前の集会で、「原発いらない福島の女たち」の方が話をしてくれました。
原発事故を体験した人たちは、それを何とかして他の人にも伝えたいと活動していますが、原発再稼働の動きは止まりません。
そこにも立場の違いでのコミュニケーションのむずかしさを感じます。
なぜか「体験者」の話は特別のものになってしまい、自分の問題になりません。
困っている人を支援するというNPOの人たちと付き合っていて感ずるのも、同じことです。

私もそうでしょうが、人の判断基準は、自分に関することと他者に関することでは違ってしまうようです。
気をつけなければいけません。

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