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2017/08/11

■節子への挽歌3630:気が熟すのを待つ生き方

節子
目が覚めたら8時を過ぎていました。
こんなことは年に1回あるかどうかです。
でもまだ疲れがとれた気がしません。
だいぶたまっているようです。
今日は10時から地元の集まりがあるので、のんびりはできません。
でもこういう時でもネットで他者とつながっていると、いろんなことが飛び込んできます。
幸いに今朝は、大きな問題はなく、定刻には集まりに参加できそうです。
ここまで書いて、出なければいけない時間になってしまいました。
続きはまた後で。

午後は来客があったものの、のんびりと過ごしました。
それに、むしろ肌寒さを感ずるほどの涼しさになりました。

メールでいささか小難しい論争に巻き込まれましたが、それ以外は、何もない休息日になりました。
来客が帰った後、DVDでミッション・インポシブルの5部作のうちの3つを観ました。
いずれも何回か観ていて筋書きはほぼ知っているのですが、ポイントだけを観るという見方なのです。
こういう観方は、節子には理解されませんでしたが、映画にはいくつかの見せ場がありますので、そこだけを観れば満足なのです。
しかし、2時間も飛ばしながら観ていたので、頭は休まるどころか疲れた気もします。
どうも最近は休み方がわからない。
困ったものです。

それで本を読むことにしました。
読みかけや読む予定の本が何冊か机の上にあるのですが、いずれも今日は読む気になりません。
本は、読む気が熟すまで待たないと読む速度が違ってきます。
私の長年の体験から、そう感じています。
気が熟せば一気呵成に読めますが、そうでないと時間がかかることもあります。

いま気づきましたが、「気が熟す」は「機が熟す」の間違いですね。
パソコンで「きがじゅくす」を漢字変換すると、なぜか「気が熟す」となってしまっていましたが、「気が熟す」という表現はたぶんありませんね。 
念のために今、国語辞書で調べましたら、案の定、出てきません。
しかし、むしろ「気が熟す」のほうが、少なくとも読書に関する限りはぴったりします。

いや読書だけではありません。
私の場合、特に節子がいなくなって、一人でわがままに生きるようになってからは、気が熟さないと動けないようになってきている気がします。
「機」ではなく「気」が、最近の私の行動の基準になっているように思います。
「気が熟すのを待つ生き方」
これはいい言葉ではないかという気がしてきました。

今日の休息日の収穫は、この生き方への気づきです。
それがなんだと言われそうですが、なかなかいい気づきではないかと思います。
いや、そう思うこと自体が、まだ疲れから抜け出ていない証拠かもしれません。

そんなことはどうでもいいのですが、選んだ本はなんと「大衆の反逆」。
100年ほど前に書かれたオルテガの本です。
読むのは3回目ですが、この本を選んだのは、もしかしたら鈴木さんのハガキの影響です。
巡礼者の鈴木さんはこのお盆の時期は静岡の生家に戻っているそうですが、読む本の一つに鎌田茂雄さんの「正法眼蔵随聞記講話」を選んだとはがきに書いてきました。
鈴木さんは、この本を毎年のように読んでいるような気がしますが、読み返すたびに新しい気付きがあると話していました。
私も鈴木さんを見倣って、もう一度、「大衆の反逆」をちゃんと読んでみようと思います。
お盆に「大衆の反逆」とは、ちょっとふさわしい気はしませんが、まあいいでしょう。
実は昨年、入院時にこの本を読んだのですが、なにしろ目の手術での入院時でしたので、辛い読書であんまり消化できなかった気がしていますので、再挑戦です。
この本を読む気になったのは、それなりの意味があるような気がします。

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