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2017/08/16

■節子への挽歌3635:何もなかったお盆が終わりました

節子
お盆の最終日、ようやくみんなが揃いました。
と言っても、たった5人です。
5人で全員。
節子を含めれば6人ですが。

両親が元気だったころは、何かの時にはみんなが集まりました。
そういう昔のようなにぎやかな集まりは、もうなくなりました。
なくなってはじめて価値を知ることは少なくありません。
今から考えれば、私の両親は幸せだったと思います。
いろいろとありましたが、家の行事はいつも賑やかでしたから。

私の友人のなかにも、10人以上集まってにぎやかな人もいます。
素直にうらやましいですが、でも多ければ多いだけ、またいろんな苦労もあるのかもしれません。
独り身の友人もいますが、そういう人が不幸なわけでもありません。
自由に生き、自由に死んでいく幸せもあるでしょう。
人にはそれぞれ生き方がある。
どういうのがいいのかは、人それぞれです。

いまのような形は、まさに私の生き方が結実した姿なのでしょう。
それを素直に受け入れるしかありません。
それしか選択肢はないのですから。
でもやはり、家族が集まった時にこそ、節子の不在を実感します。
母親は、いつも家族の中心なのかもしれません。

みんなで会食をし、久しぶりにケーキを食べて、それからみんなで節子をお墓まで送っていきました。
お墓はにぎわっていましたが、はじめてわが家の墓のお向かいさんにお会いしました。
自宅から持って行ったロウソクの火でお線香をあげて、般若心経をあげました。
孫も何回かのお墓参りです。
まだ何のことかわかってはいないでしょう。
しかし、お墓や家族を通したいのちのつながりは、孫にもしっかりと伝えておきたいと思っています。

節子が逝ってしまってから10回目のお盆は、こうして終わりました。
たぶんこれまでで一番何もなかったお盆です。
私の魂も、なぜか今年は動きませんでした。
彼岸とのつながりを感じなかった。
それ以上に、何か脱落感で過ごした4日間でした。

大宰府の加野さんから電話がありました。
お元気そうな声でした。
送らせてもらった梨を、娘さんにお供えしてくれたそうです。
加野さんが元気なうちに、一度、福岡に行きたいと思っています。
そういう友人知人が全国にたくさんいます。
今年のお盆にことさら彼岸を感じなかったのは、私の日常が彼岸に近づいているからかもしれません。
でも結局、伺うこともなく、みんなとは彼岸で会うことになるのかもしれません。

今日も訃報が一つ届きました。
美空ひばりが、「愛燦々」で歌ったように、人は哀しいものなのです。
そして、人生って、ほんとうに不思議なものです。

明日からは、またしっかりと現世を生きようと思います。

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