■節子への挽歌3638:「同事」
節子
最近、またいろんなネットワークの立ち上げに関わっています。
今月はじめには「ほっとスマイルプロジェクト」というゆるいネットワークを立ち上げました。
世界中を笑顔で埋めようという思いを持った人々と一緒に立ち上げました。
中心になっているのは、すでにいろんな実践活動をしている人たちです。
一昨日は、生きづらさをかかえている人の支援活動をしている人たちと、また別のゆるやかなネットワーク組織を立ち上げました。
他にもそういうゆるやかなネットワークは、かたちになっていないものも含めて、いくつか関わっています。
しかし、最近のものは、私が言い出しっぺではありません。
相談に来る人と話しているうちに、そういう方向に向かい、いつの間にか私自身も巻き込まれているのです。
私が考えていたことを先取りして組織化する人もいます。
たとえば、「寄り添いネットワーク」というのが立ち上がりつつあるようですが、湯島に相談に来ている人が、私が考えていた「寄り添い相談」という言葉にヒントを得たネットワークです。
私もそれに関わることを誘われていましたが、いまは距離を置いています。
話していて、どうも私の思考とは違うことがわかってきたからです。
実は、私自身が関わっているものも含めて、話していると違和感を感ずることが多いのです。
たとえば「寄り添い」という言葉一つとっても、私が考える「寄り添い」とは似て非なる意味で「寄り添い」という言葉が使われています。
そんなことが重なって、私自身、いまは「寄り添う」という言葉に違和感を持ち出しています。
「つながり」という言葉も、少し違和感を持ち出しています。
最近、それらに代わる言葉に出会いました。
「同事」です。
だいぶ前に、テレビの「こころの時代」で知った言葉です。
道元に「海の、水を辞せざるは、同事なり」という言葉があるそうです。
それを知ってからずっと気になっていて、道元の原典に当たってみようと思っていたのですが、いまもって当たってはいません。
ネットで簡単に調べると、「同事」とは「一つになること」。「一つになる」とは「差別しない」ということ。差別しないから一つになりうるのだ、というような説明がありました。
「寄り添い」や「つながりづくり」よりは、私の思いにはふさわしい言葉のように思います。
私がやっていることの理念は、「同事」ではないかという気が最近しています。
そういう視点に立つと、いろんな組織の立ち上げで集まってきている人たちとはどうも思いが違うような気がしてなりません。
福祉活動やNPO活動に取り組んでいる人たちとの世界の違いを最近感ずることが多いのです。
そもそも「ボランティア」という言葉を使う人には、どうも溝を感じます。
でもまあ、あんまり目くじら立てずに、一緒にやっていこうと頑張っています。
なにしろいずれもゆるい組織を目指しているのですから。
時々、違う世界だなと思うことが増えていますが、節子ならわかってくれるだろうと言い聞かせて、あまり異論を唱えないようにしていこうと思います。
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