■節子への挽歌3647:2日間また挽歌が書けませんでした
節子
また時間の落とし穴に落ちてしまいました。
忙しいわけでもないのですが、なぜか時間の需給のバランスが崩れ、できないことややらないことがたまりだすのです。
言い換えれば、無駄な時間が多くなり、生活の整理ができなくなるのです。
そうなると、これも不思議な話で、トラブルが襲ってきます。
自らを律せよ、という天の配慮かもしれません。
いや、これは私の本性かもしれません。
困ったものです。
この挽歌も2日間、書けずにいました。
実はその間、時々、パソコンを開いて、書きだそうとしたのですが、書けません。
なぜでしょうか。
このころ、生きていることの偶然性ということを少し考えています。
人が生き続けるのは、簡単なようで簡単ではありません。
いつ交通事故に遭うかもしれません。
昔は家族でよく海に行っていましたが、何事も起こらずにいたのは、いまとなって思えば、幸運だったような気がしますが、それを偶然と考えれば、幸不幸から解放されます。
また少し訳の分からないことを書き出してしまいましたが、いささか気持ちが少しさまよいだしています。
一昨日、元気な若者と成熟した穏やかな高齢者に会ったからかもしれません。
いろんな生き方に触れると、自分の生き方がますます相対化されると同時に、そのあまりの「異質さ」を意識してしまいます。
ふだんはそんなことなどまったく思いもせずに、平安に生きているのですが、虚しさが嵩じてきます。
デモに久しぶりに参加したのも、影響しているかもしれません。
いやそれ以上にやはり「忙しさ」が災いしているのかもしれません。
生きていると、実にいろんなことがあります。
今日もまた、ちょっと拘束時間の多い1日です。
夜にはビジネススクールで講義ですが、それまで気力が持つといいのですが。
節子に、気を送ってもらいたいです。
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