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2017/08/21

■節子への挽歌3639:靴を脱ぐ勇気

節子
昨日、北千住駅のホームで、靴を履かない裸足の人に出会いました。
夕方のかなり混雑していた時間ですが、一瞬、立ち止まってしまいました。
その服装などからして、主義を通している人だとわかりました。
50前後?の男性です。
鍛えられて感じの、しっかりした足で、日焼けの具合から見て、たぶんいつも裸足で通している人ではないかと思います。
感激しました。
そもそも私は、靴が嫌いですが、靴を脱ぐ勇気がありません。

実はその少し前に、友人から結婚式に関する相談を受けました。
その時に少し思い出したのですが、私は若いころは、世間の常識や儀礼に関しては、かなり反発的な生き方をしていました。
靴は嫌いで、サンダルを愛用し、大学にもサンダルで通っていました。
いまもサンダルを愛用していますが、電車には乗らなくなりました。
少しずつ常識を身につけてきたのです。
でも、昨日、靴を履いていない人を見て感激しました。
主義を貫いている人がいるのだと。

だからと言って、靴を脱ぐ勇気は出てきません。
自宅の庭くらいでは履物を脱ぎたいですが、アリや虫やダニにやられてしまうでしょう。
それほど私自身が生命力を失っているわけです。

人は言葉によって生きているわけではありません。
その人の考えは実践に表れます。
そう考えると、最近の私の生き方は、私がそうはなりたくない人たちの生き方とそう違わないのかもしれません。
そう思うと、また自己嫌悪に陥りかねないのですが、もうたぶん社会的な生命は終わったような気がしだしています。

昨日はもう一人、会いたいと思っていた人に会いました。
話していたら、見取師の話が出ました。
さらに話していったら、どうも細い線で私ともつながっているようです。
実践する人と実践しない人。
どうも私は、後者の住みだしているようです。
困ったものです。

靴を脱ぐ勇気を、どうやって取り戻そうか。
これは難問です。

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