■節子への挽歌3624:おもてなし文化
節子
今日は手賀沼の花火大会です。
花火が好きで、私たちがここに転居した理由の一つが花火会場の近くだったからです。
わが家の小さな屋上からは、すぐ目の前が花火の打ち上げ場所です。
転居したころは、いろんな人たちに来てもらいましたが、節子がいなくなってからは誰にも声をかけなくなりました。
娘たちの友だちや私の兄夫婦が来ることもありますが、私自身が花火で元気になることはありません。
節子の一番大変だった時に花火大会があり、いろんな人たちが来てくれていましたが、私たちは暗い病室で音だけを聞いていました。
節子はその音の響きが身体に応えていたようです。
その時の記憶がどうも薄黒く残ってしまっています。
そんなこともあって、花火では私は元気は出ないのです。
私たちは花火が好きで、熱海の花火にも何回か行きました。
しかし、隅田川の花火にはつい一度もいきませんでした。
ですからあんまり花火に関する思い出はないのです。
いや私が思い出したくないだけかもしれません。
人の記憶はいかようにも変えられてしまうものです。
今年は久しぶりに10人ほどの人が来るようです。
それで朝から大掃除をしていました。
屋上にある椅子などはもう劣化していて、使えません。
それでもなんとかお客様を迎え入れられる用意ができました。
節子がいたら、いろいろと用意したでしょうが、節子がいない今はおもてなしもシンプルです。
お稲荷さんと枝豆とビールくらいですが、昔はテーブルに山のように何かがあり、見終わった後の軽食まで用意されていました。
いささかやり過ぎなのは、わが家のおもてなし文化の影響です。
湯島でかつてやっていたサロンも、節子がいた頃はテーブルがあふれていました。
今は、コーヒーだけです。
今日は若い世代が多いようなので、誰かが何か持ってきてくれるかもしれません。
次女の連れ合いのお店は、今日は臨時休業にして、お店で出しているバーニャ・カウダを持ってきてくれるようです。
私は、丸いスイカを買ってこようと思っていましたが、あんまり天気が良くなくスイカ日和ではないので、やめました。
節子がいたら、それはそれは張り切って賑やかでした。
おもてなしの文化は、かつてはわが家には大切なことでしたが、残念ながら娘たちには十分には伝わっていませんし、私にもちょっと対応力が不足しています。
とても合理的で、無駄はしないのです。
私は、おもてなしとは無駄をすることと思っているところがあるのですが、彼らの考えの方が合理的出ることは間違いありません。
天気はまだいささか危うい感じですが、夕方に晴れてくれるといいのですが。
娘が買い物に行くというので、私もついていって、何か買ってこようと思います。
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