■節子への挽歌3637:野路さんのモモ
節子
野路さんからモモが届きました。
早速、節子にも供えさせてもらいました。
野路さんは節子の友人で、節子がとても信頼していた方です。
節子の来ていた服を裂き織りにした手持ちのバッグを、節子が亡くなった後につくってくれました。
私はそういうものをあまり使わないので、飾ってあるだけですが、娘たちは愛用しています。
野路さんは数年前に事故で記憶を一時失ってしまいましたが、パートナーのケアで少しずつ記憶も戻り、私も電話で話すこともできましたが、最近はまた物忘れが増えてきたようです。
モモを送ってくれるのは、野路さんの伴侶の方ですが、節子が付き合っていた頃に私も一度お会いしたことがあります。
私たちが直接話をするようになったのは、節子がいなくなり、野路さんが記憶を失ってからです。
これもまた不思議な話なのですが、人の縁とはそんなものでしょう。
お話を聞くと野路さんのケアも大変そうで、私たちが直接お会いする機会はなかなかできません。
今回も電話させてもらうと元気そうでしたが、節子の友人の野路さんは電話には出られませんでした。
それにしても、旅立ってから10年もたつのに、節子にはいまもお花や果物が届きます。
節子は実に幸せなのです。
思い出してくれる人がいるということほど、うれしいことはありません。
そのお相伴を、私はいただいているわけです。
先日、あるお宅に行った時に、夫婦がそろって玄関まで出てきてくれました。
それがなにかとてもあったかい感じで、うらやましく思ったのですが、年をとった夫婦のありようはいろいろです。
野路さんも苦労は多いでしょうが、伴侶がいるだけでも、いないものから見れば幸せです。
苦労と幸せはコインの裏表かもしれません。
野路さんはつい最近義兄を見送ったそうです。
私にも最近訃報が届きましたが、私たちの歳になると、身近な人の訃報は少なくありません。
いつ自分の番がやってくるかもしれませんが、順番は間違えてほしくないといつも思います。
旅立ちは早い方がいいに決まっています。
そんなことを考えるような歳になってきました。
野路さんのモモはとてもおいしかったです。
私の大好きな川中島でした。
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