■「信用」ではなく、「好意」こそ「通貨」ではないのか
今日はなぜか「通貨」と縁のある日で、3つの通貨と出会いました。
朝、起きて、昨日から読みだした「BORN to RUN 走るために生まれた」を読みました。
そこにとてもいい話が載っていましたので、フェイスブックで紹介しました。
書いたことの要旨はこんなことです。
メキシコの西シエラ・マドレの山岳に住んでいるタラウマラ族の生活の基盤にあるのは“コリマ”という文化です。
コリマとは、「あなたが分けることができるものは何でも、即座になんの見返りも期待せずに分け与える義務がある」ということだそうです。
タラウマラ族には通貨制度がなく、コリマにしたがって取引がおこなわれるそうです。
好意の交換としての経済。
「信用」ではなく、「好意」こそ「通貨」ではないのか、という気がしてきました。
そのことをふぇすブックに書いて、約束の人に会いに出かけました。
我孫子まで訪ねてきてくれた人がいて、駅前のドトールで会うことにしていたのです。
何か相談が有るような話でしたが、用件は聞きませんでした。
用件を聞くと会うのがつらくなることもあるので、私は基本的には用件をあまり聞かずに人と会います。
全く思いもしていなかった、仮想貨幣「クローバーコイン」の話でした。
私に勧めに来てくれたようですが、私が一番嫌いな話です。
もちろんお断りしただけではなく、かなり激しく否定的な私見をお話しました。
1時間半かけて。
人は状況によって世界の見え方がこんなにも違うのかといささか虚しい気分になりました。
3つ目はビットコインに絡んだ話です。
友人がある政治家の講演の動画を送ってきてくれました。
その政治家の考えは私とはかなり違うことを知っている人ですが、考えが違っても誠実に政治に取り組んでいるのであれば、私がきちんと聞くことを知っているので、送ってきてくれたのだと思います。
長い動画で苦労しましたが、なんとか一つだけ見ました。
そこにベーシックインカムやビットコインなどの話が出てくるのです。
さらに言えば、もう一つ、貨幣がらみの話にいま関わっています。
公共貨幣の話ですが、メーリングリストに参加させてもらいましたが、そのやりとりにまだついていけていません。
今日も数通のメールのやりとりを読ませてもらいましたが、理解できるところまでもいきません。
素人論議で、金融を語ることのむずかしさと虚しさに襲われています。
私にはどうも、通貨は理解を超えた世界のようです。
私にとっての理想的な通貨は、15年ほど前に挑戦したコモンズ通貨「ジョンギ」です。
あれはとても私になじめる通貨でした。
途中でやめてしまったことを後悔しています。
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