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2017/08/22

■節子への挽歌3641:他の人々の生が自分の生を満してくれる

節子
眼医者でいつも2時間近く待つ時間があるので、第1部を読んだまま終わっていた「大衆の反逆」の第2部を読みました。
スペインのオルテガ・イ・ガセットが80年ほど前に書いた本です。
3回目のですが、今回はかなり丁寧に読んでいます。
まあ理解力や直観力が低下しているからかもしれません。

ところで、そこに面白い話が出てきました。
かなり長いですが、少し修正して引用します。

スペイン人は、外国人からある広場とか建物とかがどこにあるかを聞いたりすると、親切にも自分の道中を犠牲にして、その場所まで連れて行ってくれることがよくある、と言われる。 こうした性向の中に、寛容さがいくらか認められることを否定するものではないが、私はそうした話を聞いたり読んだりするたびに、道を聞かれたわたしの同国人は、本当にどこかへ行こうとしていたのであろうかという疑念を禁じえないのである。 というのは、そのスペイン人はどこに行こうとしていたのでもなければ、計画も使命もなく、どちらかといえば、他の人々の生がいくらかでも自分の生を満してくれるのではなかろうかと外に出てみたにすぎないということも、多くの場合十分にありうるからである。 私は、多くの場合、私の同邦は、誰か案内でもしてやる外国人に出会いはしないかと思って外に出るのだと思うのである。

このくだりは、ヨーロッパに生まれた大衆たちが、いまどこに向かって進んでいるのかわからないという文脈の中で紹介されているのですが、これを読んで、もしかしたら、最近の私は、このスペイン人と同じかもしれないと、ふと思ったのです。

というのは、実は先ほど、友人から電話があり、我孫子で会えるのはいつかと訊かれました。
先月は彼女の伴侶が相談に来ました。
彼女たちがいまかなりの苦境にあるのはなんとなく知っていますが、会ってもあまり力にはなれない気もしますが、自宅まで来るというのであれば、それなりに大変な相談事があるのでしょう。
あいにく我孫子にいるのは、お施餓鬼のある24日だけですので、お施餓鬼前に会うことにしました。

どうつながるのか。
つまり、オルテガが指摘するように、「他の人々の生がいくらかでも自分の生を満してくれるのではなかろうか」ということで、私はいろんな人の相談に乗っているのではないか、というわけです。
相談ごとに関して言えば、私がどんなに時間をかけて対応しても、経済的にはまったく収入にはなりませんし、むしろ出費になるのですが、代わりに私の「生が満たされる」というわけです
そう考えるとそんな気もします。

私は「生」に満たされていないのかもしれません。

節子がいたら、今のような、何でも相談引き受け人生にはなっていないのかもしれません。
いまの生き方は、節子の遺産なのかもしれません。
遺産相続を否認したほうが、私の老後は豊かになったかもしれませんね。
いやはや、節子には困ったものです。

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