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2017/09/05

■大衆の時代の憂鬱

先月、久しぶりにオルテガの「大衆の反逆」を読み直しました。
前にも2回ほど読んでいますが、今回が一番共感できました。
私もだいぶ保守的になってきたのかもしれません。

オルテガの大衆観をいくつか書き出してみます。

大衆とは、自分に対して特別の要求を持たない人々、生きるということが現在の自分の姿の繰り返し以外のなにものでもなく、自己完成への努力を自ら進んではしようとしない人々のことである。

大衆とは、善い意味でも悪い意味でも自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずること喜びを見出しているすべての人のことである。

大衆人は他の人々が建設し蓄積してきたもの否定しながら、いまだにその自分が否定しているものによって生きている。

なんだか自画像とも重なってくるような気がして、心が滅入ります。
以前読んだ時には、かなりの反発もあって、自分はオルテガが言うところの「大衆」ではないと勝手に思っていたものです。
しかし、まあ今にして思えば、典型的な大衆人です。

オルテガを引き合いに出すまでもなく、近代は大衆が豊かになった時代です。
しかし、大衆の豊かさは、政治の自己中心化を進め、短期志向を生み出します。
それはまた、経済優先から金銭重視へと生活を変質させてきました。
豊かさの概念が、そこでは大きく変質していますが、みんなどこかで少しは気にしているものの、その流れから抜け出そうとはしません。
お金がないからできない、理想はともかくお金がなければ生きていけない、とみんな言います。
パンよりもバラだろうという人はめったにいません。
しかし、パンだけの人生に何の意味があるのか。
ウィリアム・モリスは、「わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られねばならない」と言いましたが、バラでなくとも、野の花でもいい。
それに野の花は独占しなくてもいいのです。
気をつければ、まわりに見えてくる。

オルテガの「自分が否定しているものによって生きている」という指摘にも身が縮みます。
原発を否定しながら、電力の恩恵を手放せてはいません。
安倍政権には批判的ですが、その恩恵も受けています。

大衆の時代は、いかにも憂鬱です。
オルテガなど読まなければよかったと後悔しています。
困ったものですが。

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