■節子への挽歌3667:銀行の残高を見て驚きました
節子
また振替ができないので入金してくださいという手紙が来ました。
銀行預金は入金しないとどんどん減るようです。
まあそんなことは私でも知っているのですが、長年そういうことに無頓着に生きてきたせいで、うっかりすることが多いのです。
この世からお金というものがなくなればいいのにといつも思います。
そのくせ、時々宝くじを買ってしまいます。
お金さえあればいろんなことができると、時々、魔がさしたように思ってしまうのです。
お金がないために支えられなかった人もいます。
しかしお金があったために、関係がおかしくなった人もいますから、どちらがいいのかはわかりません。
それにしてもお金とは煩わしいものです。
言い換えれば、お金はそれだけ便利なものなのでしょう。
お金があればたいていのことはできるのです。
その生活に慣れてしまうと、逆にお金がないとたいていのことができなくなってしまうわけです。
最近の私は、あまりお金には依存していないつもりですが、そもそも生きていること自体にお金がかかってしまうようになっているのでしょう。
生活費のほとんどすべてが銀行からの引き落としであり、私の収入の年金も銀行への自動振り込みなので、実際に私がお金に触れる機会はあまりありません。
私には理想的なスタイルですが、でも必ずどこかでお金がかかっていると思うと不思議な気がします。
さてその銀行口座の残高もいささか危うい水準になってきたようです。
さてどうなっていくか、楽しみです。
お金は天下のまわりものですから、きっとどこかから回ってくるでしょう。
回ってこないとしたら、そろそろ仕事をやめてのんびりしろということなのかもしれません。
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