■お互いに知り合えば、戦争などなくなるでしょう
トランプさんと金正恩さんとのチキンゲームはますますお互いの弱さを露呈してきていますが、それに拍手する安倍首相のような人もいて、さらにはそれをはやし立てるテレビタレントもいて、このままだと事故の暴発にさえつながりそうな気配を見せています。
暴発は運に任せるしかありませんが、もっと恐ろしいのは日本核武装論が現実化しそうなことです。
何回も書きますが、改めてオスグッドの勇気に感心しています。
当時は日本もアメリカも、エスカレーション戦略論者のハーマン・カーンが大人気でした。
その潮流には、オスグッドは決して乗りませんでした。
オスグッドも引用していますが、アインシュタインは、かつてこう書いています。
我々の世界は、善悪いずれを問わず主要な決定を下すことのできる権力者の手に負えぬほどの、一大危機に見舞われている。解き放された原子の力は、我々の思考以外のすべてを変えてしまった。もし人顆がこれから先も生き残ろうとするならば、我々は事実上、全く新しい思考の方法を必要とするであろう。
オスグッドは、「本当に災難が訪れた時、それを非常識な学者たちや、ワシントンのバカどもや、クレムリンの悪魔のせいにすることは容易いことです。しかし、それでは我々はどうにもならないでしょう」と「戦争と平和の心理学」で書いています。
まさにこの言葉は、いまの状況にも当てはまります。
批判してもどうにもならない。
アインシュタインは、その後、パグウォッシュ宣言などに見られるように、行動を変え、世界に働きかけていきます。
パグウォッシュ会議が始まった1950年代からオスグッドの提案が出た1960年代にかけて、世界は大きく方向を変えそうな時代でもありました。
しかし、なぜか1970年に入ると歴史はまた回帰してしまいました。
なぜそうなってしまったのか。
たぶんそれは、世界の構造原理の変化に無関係ではないような気がします。
システム同士の対立からシステムと人間との対立になったというのが私の考えです。
私には、世界の構造ははっきりと見えているのですが、それはイメージ的なものなので、文字で書くのはたぶんできません。
そういえば、小林秀雄さんが、岡潔さんとの対談で、「アウグスチヌスは、時というものを説明しろといったらおれは知らないと言う、説明しなくてもいいというなら、おれは知っていると言うと書いていますね」と話していましたが、まあ偉そうに言えば、そんなことです。
人が言葉にできることは、自分の世界のほんの小さな一部でしかありません。
世界が見えていると不安は小さくなります。
本論に戻れば、人間はみんな平和を欲しているのです。
その点では、アメリカの人たちも北朝鮮の人たちも同じです。
私もそうです。
昨日のテレビの報道ステーションで、仲代達矢さんがどうしてあの2人はあんなに言い合うのかと話していましたが、まったく同感です。
そしてそれに波長を合わせている人が多いのにも私は不思議でなりません。
権力たちは、もしかしたら「平和」を望んでいないのかもしれません。
言い方を変えれば、「争い」で自らの「平和」が得られると思っているのかもしれません。
問題を解決したいのであれば、違いから入るのではなく、同じところから入るのがいいでしょう。
大切なことは、平和を望んでいるのは誰であり、争いを望んでいるのは誰かということを見極まることです。
友だちを増やしましょう。
世界を広げましょう。
お互いに知り合えば、戦争などなくなるでしょう。
そんな思いで、湯島ではサロンを続けています。
百年河清を俟つのも、またいいものです。
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