■節子への挽歌3654:秋には一抹の寂しさがある。
節子
節子がいなくなってから11年目の始まりは、いささか不穏なスタートを切りました。
今朝、あることを思い出したのですが、確認したら私のとんでもないミスが発覚しました。
ここにはちょっと書きづらいのでやめますが、まあかなり大きなミスで、他者への迷惑も生じます。
早速に謝罪のメールを書きましたが、その咎は基本的には私自身にやってきます。
いかにも情けないスタートになりました。
先が思いやられます。
今日は朝から心穏やかではありません。
困ったものです。
晴れないのは私の心だけではありません。
今日は空がどんよりとしています。
昨日、友人から
9月に入ってしまいました。
やはり、この季節は何とはなしに一抹の寂しさを呼び覚まします。
というメールが来ました。
たしかにそうです。
秋には一抹の寂しさがある。
その寂しさを共有できる人がいれば、それは幸せにつながっていくかもしれません。
楽しさを共有するよりも、寂しさを共有するほうが、たぶん幸せであったかくなるでしょう。
もしかしたら、伴侶とは、そうした寂しさを温かさに変換する関係なのかもしれません。
節子がいない今は、寂しさを、ただ寂しさとして受け止めるしかありません。
不穏なスタートのためか、なにやら暗い挽歌になってしまいました。
青い空を見れば、気分は変わるのですが、あまり期待できそうな気配はありません。
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