■ソクラテスの嘆き
20日の国連総会で、安倍首相は北朝鮮について、「脅威はかつてなく重大で、眼前に差し迫ったものだ」と述べ、「必要なのは対話ではなく圧力だ」と強調したと報道されています。
いま、50年前に出版されたチャールズ・オスグッドの「戦争と平和の心理学」を読み直しているのですが、ちょうど昨日読んだところに、アメリカとソ連の冷戦関係の時に、アメリカ人とソ連人にソクラテスがインタビューした話(もちろんフィクションです)が出てきます。
それぞれにインタビュー後、ソクラテスは嘆いて言うのです。
「神よ。他人の立場に立って自分の立場が眺められるような能力を、我々すべてに授け給え」
ソクラテスはさらに続けます。
「神よ。自分の立場に立って他人の立場を眺められるような能力を、同じく我々すべてに授け給え」
両国民とも、自分たちはまったく責める気がないのに、相手が攻めてくることを恐れているのです。
オスグッドは、これを普通の生身の人間に要求するということは容易なことではないと書いています。
しかしもし平和を望むのであれば、相手を信頼して「緊張緩和の漸進的交互行為」に踏み出す勇気(GRIT)を持つことだと言っています。
緊張緩和の漸進的交互行は、Graduated and Reciprocal Initiative in Tension-reduction の訳語ですが、頭文字を取ればGRITになります。
核抑止力に関する強力なアンチテーゼとして提案された考えです。
ついでにもうひとつ。
一度紹介したことがあるキム・ジヒャンさんの「開城工団の人々」(地湧社)に出てくる話です。
開城工団(ケソン工業団地)は、北朝鮮が韓国の企業を誘致して北朝鮮国内につくった工業団地で、そこでは韓国の人と北朝鮮の人が一緒に働いていました。
韓国の人も北朝鮮の人も、最初は、お互いに相手を角の生えた鬼くらいに思っていたそうです。
同じ国家の国民だった人たちが、50年もたてば、そうなってしまうのです。
相手を信頼する勇気こそ、私が大事にしていることです。
相手も自分と同じ人間であることに気がつけば、その勇気は出てきます。
時に裏切られるとしても、自分もまた時に裏切ることがないとは言えないことを思えば、許せます。
相手を信頼できない人は、私からすれば、よほど性悪な人なのでしょう。
性悪で弱虫のチキンレースがどんな結末になるのか、思うだけでもおぞましいです。
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