■節子への挽歌3670:人の人生は死で終わるのではない
節子
雨です。
午前中、我孫子の教育委員会に寄ったのですが、外に出たらすごい雨です。
幸いに原田さんが車で連れて行ってくれたので大丈夫でしたが、そのまま駅に送ってもらい湯島に着いたら、晴れていました。
ところが、最初の来客と話しているうちに湯島も雨が降り始め、そのままなんだかくら~い1日になってしまいました。
最初の来客から夕方のミーティングまで2時間以上の時間ができてしまいました。
それでまた書類の整理を始めました。
整理といっても基本は廃棄です。
一挙には廃棄できないので少しずつやっているのですが、いつも自分のこの30年を思い出すような作業になります。
忘れていた友人からの手紙が出てきたり、私の意気込んだ呼びかけ文が出てきたり、退屈しません。
気がついたら2時間がたっていましたが、ほとんど作業は進んでいません。
東尋坊での合宿のビデオが出てきて、それも見てしまっていたのです。
あの時のみんなはどうしているでしょうか。
改めて過去の資料などを読んでいると、実にいろんなことをやってきています。
それなりに面白くやりがいもあったのですが、まあしかし、だからなんだという気もします。
もっと地道に、節子と一緒に何かをやっていれば、私の人生も変わっていたことでしょう。
しっかりと取り組んでいる人は、それなりに成果を生み出していますが、私の場合は、いろんなことをやりすぎて、いまとなっては何も残っていません。
誰の役にも立たずに、ただただわがままに生きてきただけです。
困ったのです。
しかし、この30年の間に、本当にたくさんの人と出会い、たくさんのことに関わらせてもらいました。
それができたのも、当時は意識していませんでしたが、節子のおかげです。
この頃、それがよくわかってきました。
節子がいなくなってからの私の活動量はとても狭くなってしまっています。
それに勢いもビジョンもなくなってしまっているように思います。
第一、誰かの役立つことは何もできていない気がします。
人の人生は、死で終わるのではないことがよくわかります。
私の場合、もう終わっているわけですが、それを認める潔さがないのです。
困ったものです。
そろそろ夜のミーティングのメンバーがやってくる時間です。
さてコーヒーでも淹れておきましょう。
今日はブレンドもののモカです。
私には4杯目のコーヒーです。
おなかが減ってきたので、誰か何かお菓子でないものを持ってきてくれるといいのですが、まあ期待できないでしょう。
今日もまた昼食を食べ損なってしまいました。
困ったものです。
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