■節子への挽歌3660:死に喜びを、生に恐れを
節子
とても気持ちのいい、秋らしい朝です。
今日はちょっと寝坊する予定だったのですが、いつもよりも早く目が覚めてしまいました。
しかし残念ながら頭がすっきりした目覚めではなく、頭が重い目覚めでした。
頭の左側の後頭部が重いのです。
ちょっと気になって、念のため血圧を測ってみたのですが、私的にはむしろ低い数値でした。
高血圧のせいではなさそうです。
まあ時々起こる現象ですが、こういう時はパソコンに向かう気が起きないので、今朝の朝の1時間はめずらしく庭に出ていました。
秋のさわやかな風に包まれていたおかげで、頭痛がなくなりました。
今朝、録画していたテレビの「こころの時代」の往生要集の番組を見ました。
死への恐れを緩和する話が説かれていましたが、どうも違和感があります。
しかし、鶴林寺の吉田さんが、往生要集は死に方のマニュアルであると同時に、生き方のマニュアルだと話されていたのは納得できます。
死に方も生き方も、同じコインの裏表ですから。
みんなそれを知っているのに、なぜか生には喜びを、死には恐れを持ちがちです。
しかし、よく考えれば、死ほど平安なものはないでしょう。
それに比べて生には平安は保証されていません。
死に喜びを、生に恐れをというのが正しいような気がしますが、なぜか誰もそう言いません。
その番組を見ながら、私も僧になればよかったなという気がしてきました。
気づくのが遅すぎました。
いやそう思えば、そうしたらいいだけの話です。
出家はしませんし、仏教の勉強はしませんが、僧らしく生きようかと思いました。
というわけで、今日から僧的な生き方をすることにしました。
何が変わるかと訊かれれば、何も変わりませんとしか言えませんが。
午後、娘の友人が、節子に供花に来てくれました。
毎年命日の前後に来てくれていますが、いつもとてもあったかくなるような、節子らしい花束です。
それにしても10年たっても、まだ花を届けてくれる。
それも電車に乗ってやってくるのです。
どうして来てくれるのかと娘に訊いたのですが、娘も「さて?」とわからないようです。
不躾な私としては、直接聞いてみようと思って、いま挨拶がてら話に行ったのですが、さすがに訊けませんでした。
人の関係は不思議なものです。
ちょっと元気が出てきたので、パソコンを開きました。
昨日のサロンの報告を書かなくてはいけません。
さわやかな風が入ってきます。
夏の仕事場は地獄ですが、秋の仕事場が天国のように気分がいいです。
秋の風は、心を安らげてくれます。
風を受けていたら、眠気が襲ってきました。
娘たちは出かけるそうなので、パソコンをやめて昼寝をしようかと思います。
平安な秋の日です。
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