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2017/09/23

■節子への挽歌3671:「収」はあっても「支」はない人生

節子
先日、杉野さんからも、最近サロンが多いですね、と言われましたが、サロンが多いのです。
なんともう3か月先の12月まで決まりだしました。
湯島のサロンは大はやりです。
その上、今日はいつかサロンをまたお願いしようと思っていた宮崎さんから、こんなメールが来ました。

今度のサロンに妻がコムケアのメールを時々見ていて、「私も参加してみたいなあ。いいのかな?」と思っていたのだそうです。(知らなかったあ!!)

それで一緒に来てくれることになりました。
とてもうれしいことです。
節子がいたらいいのですが、私だけではおもてなしが全くできません。
お菓子を用意していてもついつい出すのを忘れたり、コーヒーも最近はコーヒーメーカーで作っておいて、勝手に取りに来てよなどと横柄になってきています。
コーヒーを出すのも、最近は受け皿無しのカップだけです。
その上、サロン終了後は何も言わないのに誰かが片づけてくれます。
私は何もしないわけですが、なんだかそれがどうもすっきりしないのです。
何かおもてなしをしたいわけですが、最近はおもてなしされているような気もします。

節子の時代と違ったのは、会費をもらうことにしたのです。
ビ-ルや軽食まで出していたのに、いまはそれも無しの上に会費までもらう。
これは一種の「恩送り」の考えなのですが、なかなかわかってはもらえないでしょう。
といっても徴収するわけではなく、横の机に缶が置いてあって、そこに勝手に入れていくようになっています。
ところがそこに、時々、1万円札が入っていることがあるのです。
間違って誰かが入れたわけではなく、ある人は1万円を入れていくのです。

さらに、サロンでなくても缶にお金を入れていく人がいるのです。
時々、サロンがなかったのにお金が入っていることがあるので、わかります。
まあみんなで湯島を支えてくれているのです。
本当はそういうお金の口座をつくればいいのですが、結局は私が使い込んでしまっているのです。
困ったものです。

もう少しきちんと構想を練って取り組んでいれば、湯島を共有財産にできたのでしょうが、ちょっといまは難しい状況です。
これまた私の失策に起因しているのですが、ほんとうに困ったものです。

しかし本当にうれしいのは、こんなにサロンが多いのに、毎回10人を上回る人たちが集まってくれるのです。
皆勤賞を狙うという人までいるのです。
地元のサロンであれば、そういうこともあるでしょうが、電車に乗ってやって来てくれるのです。
なかには2時間近くかけて毎回来てくれる人もいます。

サロンをやってきたおかげで、私は退屈しなくてすんでいますし、何か困ったことがあれば支えてくれる人もたくさんいます。
でもその一方で、最近、サロン疲れも出てきています。
さてさて、サロンの収支の帳尻はどうなっているでしょうか。
いやいやそう考えるのは私の主旨ではないでしょう。
疲れることと退屈しないで元気になれることは同じことなのですから。
サロンには「収」はあっても「支」はないのです。
きっと「人生」も同じですね。

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