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2017/09/20

■解散はいつでも大歓迎です

ルソーの「社会契約論」に、「イギリス人民は、自分たちは自由だと思っているが、それは大間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれてしまうと、彼らは奴隷となり、何ものでもなくなる。自由であるこの短い期間に、彼らが自由をどう用いているかを見れば、自由を失うのも当然と思われる」と書いています。
これは国民主権を謳う憲法のもとで生活している日本人にも当てはまります。
主権を行使できるわずかな時間が、選挙の時期なのです。
そういう視点から考えれば、今回の解散は喜ばしいことではないかと私は思います。
なにしろ自らの意思を表明できるのですから。

大義名分がないとか、対抗勢力が弱い状況だとか、問題隠しの解散だとか、野党は言っていますが、そういう発想は私にはまったく共感できません。
自らのだらしなさとやる気のなさを露呈しているだけの話です。
相手を責めるだけの存在では、野党とは言えません。
寄生党というべきでしょう。
民進党も小池新党も、私には亜流自民党にしか見えません。
つまり自民党の一派閥です。

国民も、反安倍の受け皿がないと言います。
そんなことはありません。
受け皿はその気になれば見えてくるものです。
それに投票で白紙を投ずるのも選択肢でしょう。
いくらでも行動できることはあります。
先の都知事選挙の時には、最初から受け皿があったわけでもありません。
もっとも国民の半数は安倍政権を支持しているわけですから、反安倍政党が生まれないのも当然かもしれません。
みんな口では批判しながら、それに甘んじて寄生しているとしか思えません。
まあ私もそうなのかもしれません。

しかし、そうであっても、私は解散は大歓迎です。
自分の意思を政治に反映できるチャンスなのですから。
投票する対象ももちろん決まっています。
それに、解散選挙であれば、それぞれの政治家が考えていることが見えてきますし、政治論議も広がります。
主権者にとっては歓迎すべきことなのです。
大義のない解散などと言っている人の考えがわかりません。
野党にとって解散は大きなチャンスです。
そのチャンスを活かすことなく、解散することを非難している野党は、民主主義をなんだと思って言うのか。
恥を知れ、無知を知れ、と、私は思います。

前原さんは、呼びかける相手を間違っています。
共産党にもがっかりです。
彼らにも、恥を知れ、無知を知れ、と、私は言いたいです。

この機会を活かそうではありませんか。
ルソーが言うように、奴隷状況から解放される、僅かばかりの好機なのですから。

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