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2017/09/24

■節子への挽歌3672:時間があったのにお墓に行きませんでした

節子
このお彼岸はお墓に行けませんでした。
まあそういうこともあるでしょう。
もしかしたら明日行けるかもしれません。

時間がなくて行けなかったわけではありません。
そもそも私は、「時間がなくて・・・できなかった」ということを認めないタイプです。
生きている以上、時間はあります。
問題は、その時間で何を優先するかです。
時間がないのではなく、優先順位が低かったということです。

さらに優先順位のなかには、「何もしないでいる」ことも入ります。
どうしてもやらなければいけないことは、どんな場合でも人は必ずやっています。
だから「時間がなくて・・・」というのは言いわけでしかありません。
そして、人はその優先順位の選び方で、生き方が見えてきます。

今日、私がお墓に行かなかったのは、ただ単に、行く気にならなかったというだけのことです。
お墓参りの優先順位が低くなったということです。
言い換えれば、お墓参りに行かなくても大丈夫になったということです。
でもなんだかちょっと気になるので、明日は行こうかなと思っているわけです。

では今日は、一日中、在宅だったのに、何をしたかです。
まあ意識的にやったのは、大相撲を見たことくらいでしょうか。
豪栄道は日馬富士には勝てないのではないかと昨日の相撲を見てから心配していましたが、まさにその通りになってしまいました。
こころの乱れは、どこかに必ず見えるものです。

あとはなんとなく、だらだらと過ごしました。
娘母娘が来ていましたが、あんまり付き合いませんでした。
娘たちと出かけてしまったからですが。
佐久間さんから新著が届いたので読みましたが、これは送られてきた本はできるだけすぐに読むという条件反射的行動です。
ちょっと思い出して、DVDで「ゴッドファーザー」のパート3を見ました。
最後がどうなっていたかを急に思い出したくなったので、かなりとばしながらでしたが。
この映画はもう何回か観ていますが、哀しい記憶だけが残っています。
見直して、やはり哀しい映画だと思いました。
いつも見てもそう思います。

こんなふうに、何もやらなくても1日は経過するものです。
たぶん一生もまた、何もやらなくても経過するものなのでしょう。
やはり明日はお墓に行くことにしましょう。
やるべきことをやっておかないと、やはりすっきりしませんので。

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