■節子への挽歌3655:相談を受けるよりも相談する相手が欲しいですが
節子
人は、自分の世界でしか世界を見ることができないということを最近実感しています。
私の世界が広がるきっかけを作ってくれたのが節子でした。
節子の世界と私の世界はかなり違っていましたから。
節子は西日本の人であり、私は東日本の人でした。
それだけでも世界は大きく違っていました。
節子の生家は信仰を実践している浄土真宗、私の家は形だけの曹洞宗。
節子は農村で育ち、私は都会で育ちました。
子ども時代の生活環境は、世界を規定していきます。
私たちに共通していたのは、世界を広げたいという思いでした。
節子は、しかし、自己主張の強い私の世界に対応するのは大変だったでしょう。
私のわがままな独りよがりは、会社を辞めるまで続いていました。
私の生き方が大きく変わったのは、やはり会社を辞めてからです。
それに付き合ってくれたのが節子でした。
私一人では、たぶんダメだったでしょう。
節子のおかげで、なんとか自分の生き方を見つけられました。
そして気がついたら、主従が逆転していました。
節子から学ぶことは多かったです。
言葉で説明はできないのですが。
節子は、いわば私の鏡のような存在でした。
しかしその節子もいなくなってからもう10年。
この挽歌も、節子に語るというよりも自分自身に語るようになってきました。
節子は今や私の内部にこそいるからです。
しかし、時には鏡を通して自分を見たくなることもあります。
頭の中での内語ではなく、声を出してその反響を聞くことで、世界はもっとよく見えてきます。
節子相手にそれができなくなったことが、残念です。
もしかしたら、それが時々、気が落ちる原因かもしれません。
節子がいた時は、呟くことで結果的には相談できていたのだと改めて伴侶の存在の意味を実感します。
今日は4人の若者たちと会います。
私も誰か会いに行ける人が、時々欲しくなります。
一人で立つことに、最近は少し疲れましたが、言い換えれば、相談を受ける歳になってしまったのでしょうから、弱音を吐かずに、しゃんとしなければいけません。
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