■節子への挽歌3658:人に会うのは「時期」がある
節子
先日湯島に来た人が、書棚にあった飯田史彦さんの「生きがいの創造」を見て、自分もこの本に助けられたと話してくれました。
それで飯田さんとの不思議な出会いを思い出しました。
飯田さんはまだ大学院生の時代に私のところにやってきました。
その前にどこかで会っていたはずですが、それは思い出せません。
ただその時、やって来た目的ははっきりと覚えています。
「前世に佐藤さんに頼まれたことを伝えに来ました」と切り出したのです。
前世?
残念ながら私には記憶がなくなっていました。
それからいくつか具体的なことを話してくれましたが、思い出せません。
でもまあ、彼がそういうのですから、そうなのでしょう。
そこから少し深い付き合いが始まりました。
その後もちょっと不思議なことが起こりましたが、私はそういうことにはきわめて違和感がないので、自然体で対応していました。
その後、彼は福島に転居しました。
福島に行った時には、彼が自動車で会いに来てくれたりしましたが、彼の大学には行く機会を失しました。
節子が亡くなった後、少しして、彼に会いたくなったことがあります。
連絡したら、いまは佐藤さんに会える状況ではないと言われました。
その理由はわかりませんが、彼が「ない」というならそうなのでしょう。
その後の飯田さんの活動は耳には入っていましたが、この10年、交流はありません。
最近は著作も送られてこないので、ついつい忘れてしまっていました。
その飯田さんを思い出させられたのです。
たぶんこれもまた意味があるのでしょう。
というのは、最近また、飯田さんの世界に関心が向きだしているのです。
いや、関心が向きだすというよりも、世界が近づいたというべきかもしれません。
久しぶりに連絡を取りたくなりました。
まだ「会う時期」ではないといわれるかもしれません。
「会う時期」になっているといいのですが。
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