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2017/09/02

■民進党の代表選で感じたこと

民進党の代表が前原さんに決まりました。
総会を見ていて残念だったのは、新しい出発という高揚感を全く感じられなかったことです。
政権交代という言葉がむなしく響くような気がしました。
たぶん民進党の人たちの多くが、自らの社会的な位置づけをきっちりと評価できていないのではないか。
つまり、彼らは外に出てくるよりも、反安倍という機軸にしがみつきながら、安倍政権に寄生しているように感じました。
そこからは、躍動感も期待感も生まれない。

しかし、反対するという形で権力に寄生するというのは、民進党に限りません。
小池新党と言われる人たちの動きも、同じに感じます。
いや、自民党そのものもまた、ある意味で「反対」が主軸になっている。
つまり現在の日本の体制への反対です。
維新に関しては、大日本国憲法時代に戻ろうと明言しています。
ただ「反対」の大合唱です。
今や日本の政治からは「大きな物語」が消えてしまった。
というよりも、もしかしたら私たち現代の日本を生きる人たちから、それが消えてしまったのかもしれません。

先月、久しぶりにオルテガの「大衆の反逆」を読みました。
そこでの指摘は、いまもなお示唆に富んでいます。
昨日の朝日新聞の「異論のススメ」に、佐伯啓思さんが「現代文明の没落 貨幣で思考、衰える文化」と題して、シュペングラーのことを書いていました。
オルテガは、シュペングラーの「没落」論には異を唱えていますが、それはともかく、シュペングラーの指摘も、いまますます現実感を強めています。

日本に力のある野党ができないのは、政治家の責任ではないように思います。
国民が求めていないのではないのか。
政治には野党が不可欠だという常識の中に私たちはいますが、果たしてそうなのか。
自分たちが寄生している安倍政権への未練がましい愚痴として、受け皿がないなどと言っているとしか、私には思えません。
そもそも自民党と民進党とどこが違うのか。
原発にお墨付けを与え、米国依存に賛成し、生活のための財政から国家維持のための財政をめざし、文化よりも経済優先のTPPを持ち込んだのは、菅民主党政権と野田民主党です。

いま必要なのは、受け皿づくりではなく、国家形成原理としての理念です。
日本がどこを目指すのか、それをこそ議論するべき時期ではないか。
いやそうした議論を国民の中に起こすべき時期ではないか。

民進党の総会の報道を見ながら、そんなことを考えていました。
生き方を見直すべきは、わたしたち一人ひとりです。
成熟社会においては、政治は私たちの生き方の鏡でしかありません。
せめて自分だけは、後悔のない生き方をしたいと改めて思いました。

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