■節子への挽歌3657:運不運。幸福不幸。
節子
昨日の話です。
節子が好きだったリビングの蛍光灯が壊れてしまいました。
なぜか節子はいつもリビングの蛍光灯にはこだわっていましたので、いろいろと探して買い求めたものです。
機能主義の私は、蛍光灯にはほとんどこだわらないのですが、私以外の家族はみんな、ケースがガラスでないとだめだとか、いろいろとこだわりました。
いや、時期的にそうした時期だったのかもしれません。
廃棄するのも抵抗があったので、兄に頼んでみてもらいました。
兄は、ものづくりが好きで、昔はテレビも自分で組み立てたりしていました。
私が中学校時代に最初に見たわが家のテレビは兄の手づくりでした。
それで、兄に来てもらって、直してもらうことにしました。
節子の位牌の前にあった大きな供花を見て、まだこんなお花が届くのか、と兄は感心していました。
命日の前に節子の滋賀の友人たちから大きな花が届いていたのです。
たしかに10年もたったのに、お花を届けてくれる人がいるのは節子の人柄かもしれません。
私からすれば、それほどの人柄ではないのですが、まあ私よりはいい人柄なのでしょう。
私にはたぶん花は届きません。
蛍光灯を見てもらいました。
ところが、故障の原因がわかりません。
なにやらややこしい構造なのです。
たかが蛍光灯で、と思うのですが、なにやら複雑な配線構造になっています。
結局、1時間半かかりましたが直りません。
途中で一度、点灯したのですが、またダメになってしまいました。
修理に出すよりも最近のLED仕様のものを買った方がたぶん経済的には負担が少ないでしょう。
でも修理してももうダメかもしれません。
10年くらいが寿命だと説明書に書いてありました。
どこもなんともないのにどうも割り切れません。
節子が選んだものだと思うと迷います。
でもまあ、今日はあきらめて、一緒に食事に行きました。
兄とは考え方も違うので、会うたびに論争になるのですが、まあ今回は無事平和に食事を終わりました。
人は近ければ近いほど、いろんなことが見えすぎたりわがままになったりで、うまくいかないことも少なくありません。
もし節子が元気だったら、私たちは果たしてうまくいっていたでしょうか。
2人とも歳をとってわがまま度が高まり、喧嘩が増えていたかもしれません。
もしかしたら、私は一番、いい関係の時に節子を見送ったのかもしれません。
私たちの関係が一番いい時に、その時が来たのかもしれません。
それはとても幸運なことかもしれません。
しかし、そのためにいまでも節子から解放されずにいるとしたら、不運なことかもしれません。
運不運。幸福不幸。
もしかしたらそれらは同じものかもしれません。
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