■節子への挽歌3679:「いい人生だったのだろうか?
節子
今日も寒い日です。
こたつが欲しいほどです。
最近なぜか「煩悩」が増してきているような気がします。
方向が反転してしまったのです。
困ったものですが、周りの人たちの生き方への羨望の念が高まっています。
みんなが幸せそうに感ずることが多くなってきています。
ここで「みんな」と言うのは、「すべての人」と言ってもいいでしょう。
それに比例して、何やら自分の生き方が貧しく感じてしまうわけです。
自分の生き方に否定的になる経験はあまりなかったのですが、どうも最近はそんな気分が生まれてきています。
この歳になって、おかしな話ですが、どうもすっきりしない日が続いています。
これは言い換えれば、自分への「肯定感」のゆらぎです。
彼岸への旅立ちの時に、「いい人生だった」と言えるかどうかはとても大切です。
節子は、「いい人生」だったと言っていましたが、果たして私には言えるかどうか。
最近、あんまりそうも思えなくなってきたのです。
ちなみに、ここで「いい人生」と言うのは、自分に恥じない人生だったという意味です。
今年の春までは、私はその意味では「いい人生」だったと確信していました。
でもどうも最近はそう思えないのです。
何があったのでしょうか。
心当たりはありませんが、最近、長い人生を振り返ると何やらたくさんの「後悔」のようなものが押し寄せてきます。
それが私の気持ちを萎えさせているのかもしれません。
この気分がいつ反転するか。
待つしかありません。
いまさらこれまでの人生を変えることはできませんから。
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